寛政の頃にはポッピンを吹く女などの多くの美人画を描(えが)いた喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や、市川鰕蔵(いちかわえびぞう)などの個性的な役者絵や相撲絵を描いた東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)らが、上半身や顔を主に描いた大首絵(おおくびえ)の作品を次々と残しました。東洲斎写楽は謎(なぞ)の多い人物としても有名です。
錦絵は寛政の改革による規制で衰えましたが、天保の頃には風景を浮世絵的に描いた絵画が流行するようになりました。葛飾北斎(かつしかほくさい)の富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)や、歌川広重(うたがわひろしげ)の東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)などが有名です。
なお、これらの浮世絵は幕末の開国後に海外に出回ったことで、モネやゴッホなどのヨーロッパ印象派の画家にも大きな影響を与えています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
そうですよね。日本の浮世絵は世界的に有名な
海外の画家達にも多大な影響を与えているという所が誇れることだと思います^^
写楽もいろいろな説を言われているようですが、
本当の所はどうだったんでしょうかね?
応援凸
写楽。
晴雨堂ミカエル むかし真田広之が写楽を演じた映画がありましたね。共演女優との色恋沙汰のほうが話題になりましたが。
映画では写楽は軽業師あがりの絵師という設定でしたが、最近ギリシアで見つかった写楽の肉筆絵から、ある能楽師が有力説になりつつあります。
能楽師なら大小さした士分、興味深いです。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 浮世絵は我が国が世界に誇れる技術ですよね。
誇れる文化が多いのは幸せなことですし、この伝統をつないでいきたいものです。
写楽については少しずつ明らかになっているようですが、はっきりとした証拠があればいいですよね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 斎藤十郎兵衛という名の能役者が写楽の正体だという説がありますね。
もし本当にそうだとすれば、なぜ写楽を名乗ったのか…謎は尽きないです。
HANA子 先日、人が乗り込んで操縦する4mサイズの四速歩行ロボットを民間で……というか個人で作ってる方のニュースを見たのですが、凄いなぁと
自分が作りたい物を作るって口で言うほど簡単なことじゃないですよね
結局新しい文化ってものは活力ある民間から生まれ出るものなんだなって思います
より新しいもの、楽しいもの、美しいもの、刺激的なもの
より正確に言うと、その時々の時代の主人公たる人々の手によって生まれる、でしょうか
花開いたこの時代の文化は現在にも通じる部分が多々ありますが、果たして現在の我々はその後200年未来に通じる文化が残せるものでしょうか?
先述のロボットがどうかはともかくとして、新しいものにチャレンジする精神が生み出す何かを目撃したいものだなって思います
HANA子さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、文化というものはお上の主導ではなく、民間の活力で育て上げるものです。
物資が豊富な時はフルに活用して、少ない際にはそれなりに工夫して文化を育む。こんな当たり前のことを、私たちの世代も忘れずに子孫に伝えていきたいものですね。
そうですよね。日本の浮世絵は世界的に有名な
海外の画家達にも多大な影響を与えているという所が誇れることだと思います^^
写楽もいろいろな説を言われているようですが、
本当の所はどうだったんでしょうかね?
応援凸
映画では写楽は軽業師あがりの絵師という設定でしたが、最近ギリシアで見つかった写楽の肉筆絵から、ある能楽師が有力説になりつつあります。
能楽師なら大小さした士分、興味深いです。
誇れる文化が多いのは幸せなことですし、この伝統をつないでいきたいものです。
写楽については少しずつ明らかになっているようですが、はっきりとした証拠があればいいですよね。
もし本当にそうだとすれば、なぜ写楽を名乗ったのか…謎は尽きないです。
自分が作りたい物を作るって口で言うほど簡単なことじゃないですよね
結局新しい文化ってものは活力ある民間から生まれ出るものなんだなって思います
より新しいもの、楽しいもの、美しいもの、刺激的なもの
より正確に言うと、その時々の時代の主人公たる人々の手によって生まれる、でしょうか
花開いたこの時代の文化は現在にも通じる部分が多々ありますが、果たして現在の我々はその後200年未来に通じる文化が残せるものでしょうか?
先述のロボットがどうかはともかくとして、新しいものにチャレンジする精神が生み出す何かを目撃したいものだなって思います
物資が豊富な時はフルに活用して、少ない際にはそれなりに工夫して文化を育む。こんな当たり前のことを、私たちの世代も忘れずに子孫に伝えていきたいものですね。