画家でもあった蕪村は、「菜の花や 月は東に 日は西に」のように詠(よ)んだ句がそのまま絵画の情景に使用できるような内容の句が多く、「雀(すずめ)の子 そこのけそこのけ お馬が通る」のような動物や子供、あるいは農村の日常を詠んだ一茶の句には現代においても親近感を感じるものが多いです。なお、蕪村は蕪村七部集(ぶそんしちぶしゅう)、一茶はおらが春の句集がそれぞれ有名です。
一方、町人の社会では世情(せじょう)を風刺(ふうし)したり、あるいは皮肉(ひにく)ったりした狂歌(きょうか)や川柳(せんりゅう)が流行しました。狂歌は短歌、川柳は俳諧をモチーフとしており、代表的な作者としては狂歌に大田南畝(おおたなんぽ、別名を蜀山人=しょくさんじん)が、川柳には名称の由来となった柄井川柳(からいせんりゅう)らがいます。
なお、先述の「白河の 清きに魚(うお)の すみかねて もとの濁(にご)りの 田沼こひしき」という狂歌は大田南畝の作です。また、当時の川柳を集めた作品集として誹風柳多留(はいふうやなぎだる)があり、「役人の 子は にぎにぎを よく覚え」などの作品が有名です。ちなみに「にぎにぎ」とは、賄賂(わいろ)をこっそりと手で握(にぎ)って受け取るという風刺の意味が込められた言葉です。
この他、和歌では僧の良寛(りょうかん)が子供との日常などの生活感情あふれる作品を残しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
蕪村の「菜の花や 月は東に 日は西に」
この一文を読ませていただくだけでも
何一つ妨げるものが無い
広々とした大地の様子が目に浮かぶ様ですよね~
私も好きな俳句の一つです(^^)v
また小林一茶の方も
仰るとおり、「やれ打つな、蝿が手をする足をする」などと蝿が命乞いでもしているのでは無いかと思うように見える様子がまた面白くもあります。
また「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」は涙さえ誘う描写です。
どちらも好きな俳人でもあります。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 蕪村も一茶も、それぞれの個性を生かした素晴らしい句を残していますね。
芭蕉とはまた一味違うような思いがします。
> 「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」
これは石川啄木だったと記憶しているのですが…。
ちなみに下の句が「力みなぎり一本背負い」という笑い話もあるようです。
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蕪村の「菜の花や 月は東に 日は西に」
この一文を読ませていただくだけでも
何一つ妨げるものが無い
広々とした大地の様子が目に浮かぶ様ですよね~
私も好きな俳句の一つです(^^)v
また小林一茶の方も
仰るとおり、「やれ打つな、蝿が手をする足をする」などと蝿が命乞いでもしているのでは無いかと思うように見える様子がまた面白くもあります。
また「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」は涙さえ誘う描写です。
どちらも好きな俳人でもあります。
応援凸
芭蕉とはまた一味違うような思いがします。
> 「たはむれに母を背負いてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず」
これは石川啄木だったと記憶しているのですが…。
ちなみに下の句が「力みなぎり一本背負い」という笑い話もあるようです。