田沼時代に発達した文化は松平定信の寛政の改革(かんせいのかいかく)によって一旦(いったん)は冷え込みましたが、徳川家斉が政治の実権を握(にぎ)った大御所時代に再び栄えました。後者の文化については、当時の元号(げんごう)である文化(ふんか)や文政(ぶんせい)から、化政文化(かせいぶんか)と呼ばれています。
化政文化を迎える頃には教育や出版の普及(ふきゅう)によって中央の文化が地方にまで広がるとともに、都市生活の多様化によって文化の内容も多方面に広がりました。特に、値段の高かった書籍(しょせき)を庶民(しょみん)に安価で貸し与えることを商売としていた貸本屋(かしほんや)の活動には目覚ましいものがありました。
一方、寛政の改革などによる厳しい統制(とうせい)を受けたことで、反発した庶民が風刺(ふうし)の効いた多くの作品を残したり、幕府政治の長期化で限界が見えつつあった幕藩体制(ばくはんたいせい)に対して、新しい体制を模索(もさく)しようとする動きもあったりしました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
今でも東京は書籍出版会社が
集中して多いのは、この頃からの文化の
急速な発達があったからこそなんですね^^
公営、或いは私設の図書館などとは
別に個人の商売として貸本屋が流行っていたわけですね。
今は貸本屋さんという存在は、滅多にみられなく
なった様に思いますが、あるところのはまだまだ存在しているのでしょうか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、確かに書籍に関する文化が根付いたことが出版会社の相次いだ設立をもたらしたといえますね。
貸本屋は1950年代までは繁盛していたようですが、図書館の全国的な普及や著作権の問題で今ではほとんど残っていないようです。
今でも東京は書籍出版会社が
集中して多いのは、この頃からの文化の
急速な発達があったからこそなんですね^^
公営、或いは私設の図書館などとは
別に個人の商売として貸本屋が流行っていたわけですね。
今は貸本屋さんという存在は、滅多にみられなく
なった様に思いますが、あるところのはまだまだ存在しているのでしょうか?
応援凸
貸本屋は1950年代までは繁盛していたようですが、図書館の全国的な普及や著作権の問題で今ではほとんど残っていないようです。