しかし、棄捐令はいわゆる徳政令(とくせいれい)と同じですから、旗本や御家人の収入を増やすといった抜本的(ばっぽんてき)な改革がない限り、結局は一時しのぎに過ぎないばかりでなく、再び借金をする際には、棄捐令で痛い目にあった札差から断られる可能性もあり、逆効果に終わってしまうという一面もありました。
定信は田沼時代に進められた重商主義(じゅうしょうしゅぎ)を徹底的に否定し、吉宗の時代よりも厳しい重農主義(じゅうのうしゅぎ)の政治を行いました。その中の一つに旧里帰農令(きゅうりきのうれい)があります。これは、地方から江戸に流れてきた農民を無理やり元の農村に帰すという法令ですが、そのままの政策で農村へ帰されたところで、待っているのは今までと同様の苦しい生活の日々でしかありません。
重農主義に戻すということは、吉宗の時代と同じく現実には不可能な米本位制(こめほんいせい)を続けるということですから、いくら農村に帰したところで、いずれは再び江戸へ出て来ざるを得なくなるというわけです。かくして旧里帰農令は失敗に終わり、後の天保の改革(てんぽうのかいかく)の際に再び同じような法令である人返しの法(ひとがえしのほう)を出す結果になってしまいました。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
何事もその場限りの付け焼刃的な政策では
いづれ行き詰まる事になってしまうといういい例だった訳ですか。やはり抜本的に改革を考えていかなければ、堂々巡りを繰り返すだけの愚策なんですね(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 何事もその場限りの付け焼刃的な政策では
> いづれ行き詰まる事になってしまうといういい例だった訳ですか。やはり抜本的に改革を考えていかなければ、堂々巡りを繰り返すだけの愚策なんですね(^_^;)
仰るとおりです。理想のみを追求して具体性がなければ、単なるスローガンを繰り返しているだけであり、それこそ「絵に描いた餅」です。同じことを繰り返し、しかも連続して失敗している段階で、幕府の政治力に限界が来ていたと考えて差し支えないと思われますね。
もちろん現代においても例外ではありませんが。
こんにちは
ryo お久しぶりです。でも先生のブログは毎日見ていますよぉ。
さて、定信の政治ってやることなすこと失敗ばかりに思うのですが、これも意次への個人的な恨みがそうさせてしまっているのでしょうか^^;
ryoさんへ
黒田裕樹 > お久しぶりです。でも先生のブログは毎日見ていますよぉ。
いつもご覧いただきまして有難うございますm(_ _)m
> さて、定信の政治ってやることなすこと失敗ばかりに思うのですが、これも意次への個人的な恨みがそうさせてしまっているのでしょうか^^;
仰る一面は確かにありますね。所詮、感情だけで政治はできないということでしょうか。
こんばんは
わろ 帰農令で、はたして無事に故郷に帰れたのでしょうか?
村社会日本だと、一度捨てた故郷に帰っても村八分にされそうな気がします^^;
それとも農村では、人手が足りずに歓迎されたのでしょうか??
あと出稼ぎ農民が、都市になじめずにスラム街を形成するってよく聞くのですが、江戸時代もスラム街ってあったのですか??
わろさんへ
黒田裕樹 > 帰農令で、はたして無事に故郷に帰れたのでしょうか?
> 村社会日本だと、一度捨てた故郷に帰っても村八分にされそうな気がします^^;
> それとも農村では、人手が足りずに歓迎されたのでしょうか??
私もそこまではあまり存じ上げませんが、確かに帰る故郷があったか心配ですね。夜逃げ同然や一家離散で食い詰めて江戸に迷い込んだ人々もいたでしょうし…。何しろ飢饉でしたからね。
> あと出稼ぎ農民が、都市になじめずにスラム街を形成するってよく聞くのですが、江戸時代もスラム街ってあったのですか??
ありましたよ。有名なのは芝新網町(現在のJR浜松町駅付近)ですね。他にも何ヵ所かあるようです。
HANA子 現実を直視せずに理想に拘泥して行われる政治が状況の破綻を導くのは古今東西・和と洋の違いなく歴史の語るところですが、
この松平定信の前政権の行いを全否定して自分のやりかたのみを盲目的に推進する→政治の破綻に行き着くというプロセスがどうしても現政権に重なってしまいます
そんな風に思ってしまうのは現政権と与党へのわたしの偏見がなせるわざなんでしょうか……
しかし松平定信は白河藩主だった頃に自藩の飢餓対策に手腕を発していたはずなのですけど、
やはり権力を手にしてしまうと色んなものが曇ってしまうものなんでしょうか?
HANA子さんへ
黒田裕樹 > 現実を直視せずに理想に拘泥して行われる政治が状況の破綻を導くのは古今東西・和と洋の違いなく歴史の語るところですが、
> この松平定信の前政権の行いを全否定して自分のやりかたのみを盲目的に推進する→政治の破綻に行き着くというプロセスがどうしても現政権に重なってしまいます
> そんな風に思ってしまうのは現政権と与党へのわたしの偏見がなせるわざなんでしょうか……
偏見だけではないと思いますよ。
多くの国民が(できるはずもない)美辞麗句を並び立てた某政党に陶酔して夢を見て、覚めればとんでもない悪夢だった…。現代に限らず、よくある話です。
> しかし松平定信は白河藩主だった頃に自藩の飢餓対策に手腕を発していたはずなのですけど、
> やはり権力を手にしてしまうと色んなものが曇ってしまうものなんでしょうか?
飢餓対策ですか…。いずれ紹介しますが、これこそが定信の出世につながる「政治」だったわけですが、その実像は―。
何事もその場限りの付け焼刃的な政策では
いづれ行き詰まる事になってしまうといういい例だった訳ですか。やはり抜本的に改革を考えていかなければ、堂々巡りを繰り返すだけの愚策なんですね(^_^;)
応援凸
> いづれ行き詰まる事になってしまうといういい例だった訳ですか。やはり抜本的に改革を考えていかなければ、堂々巡りを繰り返すだけの愚策なんですね(^_^;)
仰るとおりです。理想のみを追求して具体性がなければ、単なるスローガンを繰り返しているだけであり、それこそ「絵に描いた餅」です。同じことを繰り返し、しかも連続して失敗している段階で、幕府の政治力に限界が来ていたと考えて差し支えないと思われますね。
もちろん現代においても例外ではありませんが。
さて、定信の政治ってやることなすこと失敗ばかりに思うのですが、これも意次への個人的な恨みがそうさせてしまっているのでしょうか^^;
いつもご覧いただきまして有難うございますm(_ _)m
> さて、定信の政治ってやることなすこと失敗ばかりに思うのですが、これも意次への個人的な恨みがそうさせてしまっているのでしょうか^^;
仰る一面は確かにありますね。所詮、感情だけで政治はできないということでしょうか。
村社会日本だと、一度捨てた故郷に帰っても村八分にされそうな気がします^^;
それとも農村では、人手が足りずに歓迎されたのでしょうか??
あと出稼ぎ農民が、都市になじめずにスラム街を形成するってよく聞くのですが、江戸時代もスラム街ってあったのですか??
> 村社会日本だと、一度捨てた故郷に帰っても村八分にされそうな気がします^^;
> それとも農村では、人手が足りずに歓迎されたのでしょうか??
私もそこまではあまり存じ上げませんが、確かに帰る故郷があったか心配ですね。夜逃げ同然や一家離散で食い詰めて江戸に迷い込んだ人々もいたでしょうし…。何しろ飢饉でしたからね。
> あと出稼ぎ農民が、都市になじめずにスラム街を形成するってよく聞くのですが、江戸時代もスラム街ってあったのですか??
ありましたよ。有名なのは芝新網町(現在のJR浜松町駅付近)ですね。他にも何ヵ所かあるようです。
この松平定信の前政権の行いを全否定して自分のやりかたのみを盲目的に推進する→政治の破綻に行き着くというプロセスがどうしても現政権に重なってしまいます
そんな風に思ってしまうのは現政権と与党へのわたしの偏見がなせるわざなんでしょうか……
しかし松平定信は白河藩主だった頃に自藩の飢餓対策に手腕を発していたはずなのですけど、
やはり権力を手にしてしまうと色んなものが曇ってしまうものなんでしょうか?
> この松平定信の前政権の行いを全否定して自分のやりかたのみを盲目的に推進する→政治の破綻に行き着くというプロセスがどうしても現政権に重なってしまいます
> そんな風に思ってしまうのは現政権と与党へのわたしの偏見がなせるわざなんでしょうか……
偏見だけではないと思いますよ。
多くの国民が(できるはずもない)美辞麗句を並び立てた某政党に陶酔して夢を見て、覚めればとんでもない悪夢だった…。現代に限らず、よくある話です。
> しかし松平定信は白河藩主だった頃に自藩の飢餓対策に手腕を発していたはずなのですけど、
> やはり権力を手にしてしまうと色んなものが曇ってしまうものなんでしょうか?
飢餓対策ですか…。いずれ紹介しますが、これこそが定信の出世につながる「政治」だったわけですが、その実像は―。