定信は吉宗同様に庶民(しょみん)にまで厳(きび)しい倹約令(けんやくれい)を強制させました。先述した出版統制令などとあわせて、これらはせっかく田沼時代に花開いた町人文化の衰退(すいたい)を招(まね)いたほか、庶民の反発を呼ぶなど経済的に失政でした。
享保の改革の際と同じように「寛政文化」と呼ばれるものが存在しない大きな原因となりましたが、その一方で節約で浮(う)いた町費(ちょうひ)の七割を積み立てさせ、江戸町会所(えどまちかいしょ)に運用させることで飢饉(ききん)の際などの非常時の貧民(ひんみん)の救済(きゅうさい)に利用しました。これを七分積金(しちぶつみきん)といいます。
また寛政の改革が始まった頃には天明の大飢饉(てんめいのだいききん)がまだ続いており、庶民の暮らしは不安定になっていました。そこで、定信は飢饉に備えて各地に社倉(しゃそう)や義倉(ぎそう)をつくらせて穀物(こくもつ)を蓄(たくわ)えさせました。これを囲米(かこいまい)といいます。
この他、定信は現代の刑務所(けいむしょ)の原点ともいえる無宿人(むしゅくにん)への職業訓練施設として石川島人足寄場(いしかわじまにんそくよせば)を設置しました。もっとも、これは定信自身の案ではなく、池波正太郎(いけなみしょうたろう)の小説「鬼平犯科帳(おにへいはんかちょう)」で有名な火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)の長谷川平蔵(はせがわへいぞう)が考えたものです。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
わろ 14万ヒットおめでとうございます!
14万人の兵力があれば、黒田さん関ヶ原に殴りこめそうですね^^
定信って、熱心に色々やっているのですね。
現状維持よりもたちが悪い気がします。
歴史において、懐古主義って成功したことあるのでしょうか??
わろさんへ
黒田裕樹 > 14万ヒットおめでとうございます!
> 14万人の兵力があれば、黒田さん関ヶ原に殴りこめそうですね^^
有難うございます。
その発想はなかったですね(^^ゞ
天下を取るにはまだまだ力不足ですが(爆)。
> 定信って、熱心に色々やっているのですね。
> 現状維持よりもたちが悪い気がします。
> 歴史において、懐古主義って成功したことあるのでしょうか??
「昔に返れ」といっても、当時とは環境から何から異なりますからね。
そこまでの対策を何も講じてないとすれば、仰るとおり「たちの悪い」話になってしまいますし、定信の場合はまさにそのとおりなのが何ともはや…(´・ω・`)
ぴーち おはようございます!
昨日は娘を駅まで送り届ける為に
お昼休みに帰宅出来ませんでしたので、黒田さんの記事へコメントに伺うことが出来ずに、不義理をしてしまい、申し訳ありませんでしたm(__)m
14万ヒットですか!おめでとうございます!
今まさに歴史を学ぶ事への大切さの気運が次第に高まり、日本全国広がりを見せている中、黒田さんの様に積極的に本物の歴史と向き合い、流布して行こうと思われる姿に皆さんも共感されている事でしょう。
これからも頑張ってください!
応援凸
また午後からの記事にお邪魔させてくださいね^^
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 昨日は娘を駅まで送り届ける為に
> お昼休みに帰宅出来ませんでしたので、黒田さんの記事へコメントに伺うことが出来ずに、不義理をしてしまい、申し訳ありませんでしたm(__)m
いえいえ、どうぞお気になさらずに。
お忙しい中いつも有難うございます。
> 14万ヒットですか!おめでとうございます!
> 今まさに歴史を学ぶ事への大切さの気運が次第に高まり、日本全国広がりを見せている中、黒田さんの様に積極的に本物の歴史と向き合い、流布して行こうと思われる姿に皆さんも共感されている事でしょう。
> これからも頑張ってください!
お言葉感謝です。
2年半弱での14万HITは大変な数字だということを自覚して、これからも頑張ります!
オバrev 14万HITおめでとうございます。
歴史を様々な角度から検証し、ご自分の意見を交えて事実をできるだけ正確に記事にしておられることが、多くのリピーターを生んでこの数字になっていると思います。
定信も、一生懸命やっていたことは確かそうですね。ただ大きな方向を見誤っていたということでしょうね。
しかし当時の価値観では、意次のような柔軟な考え方ができる人間が幕府にはほとんどいなかったか、いたとしても民間人にしかいなかったんではないでしょうか。
それと現在の歴史教育についての疑問ですが、我々の習った歴史では定信の寛政の改革をむしろ評価していたように思います。
それは意図的ではなく歴史的事実への焦点の当て方が異なっていたということか、あるいは事実の検証が足らなかったということなんですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 14万HITおめでとうございます。
> 歴史を様々な角度から検証し、ご自分の意見を交えて事実をできるだけ正確に記事にしておられることが、多くのリピーターを生んでこの数字になっていると思います。
有難うございます。毎日200~250人の皆様がご訪問くださいますので、これからも歴史の事実を分かりやすく自分の言葉で説明できればと考えております。
> 定信も、一生懸命やっていたことは確かそうですね。ただ大きな方向を見誤っていたということでしょうね。
仰るとおりですね。どれだけ努力を重ねようが、国民、あるいは国益と離れてしまっていてはどうしようもありません。
> しかし当時の価値観では、意次のような柔軟な考え方ができる人間が幕府にはほとんどいなかったか、いたとしても民間人にしかいなかったんではないでしょうか。
唯一の柔軟な発想家であった意次を裸同然で追放し、その後の残忍な仕打ち(後述します)を行った直後ですからね。頭の固い連中しか残っていないのも道理ですし、民間人も声を上げれば林子平のように処分を受けるとあっては誰も政治に貢献しようとは思いません。最悪の状態ですね。
> それと現在の歴史教育についての疑問ですが、我々の習った歴史では定信の寛政の改革をむしろ評価していたように思います。
> それは意図的ではなく歴史的事実への焦点の当て方が異なっていたということか、あるいは事実の検証が足らなかったということなんですかね?
幕府の公的学問であった朱子学からすれば、定信の考え方こそが「究極の理想」であって、意次のようにどれだけ有能であっても「異端児」として徹底的につぶされるんですよ。そんな幕府の基準がそのまま歴史の見方と化してしまって、現代においても本流として存在してしまっているというのが真相だと思います。もっとも、ようやく最近になって意次や綱吉に対する評価が変わりつつあるのは喜ばしいことではありますが。
14万人の兵力があれば、黒田さん関ヶ原に殴りこめそうですね^^
定信って、熱心に色々やっているのですね。
現状維持よりもたちが悪い気がします。
歴史において、懐古主義って成功したことあるのでしょうか??
> 14万人の兵力があれば、黒田さん関ヶ原に殴りこめそうですね^^
有難うございます。
その発想はなかったですね(^^ゞ
天下を取るにはまだまだ力不足ですが(爆)。
> 定信って、熱心に色々やっているのですね。
> 現状維持よりもたちが悪い気がします。
> 歴史において、懐古主義って成功したことあるのでしょうか??
「昔に返れ」といっても、当時とは環境から何から異なりますからね。
そこまでの対策を何も講じてないとすれば、仰るとおり「たちの悪い」話になってしまいますし、定信の場合はまさにそのとおりなのが何ともはや…(´・ω・`)
昨日は娘を駅まで送り届ける為に
お昼休みに帰宅出来ませんでしたので、黒田さんの記事へコメントに伺うことが出来ずに、不義理をしてしまい、申し訳ありませんでしたm(__)m
14万ヒットですか!おめでとうございます!
今まさに歴史を学ぶ事への大切さの気運が次第に高まり、日本全国広がりを見せている中、黒田さんの様に積極的に本物の歴史と向き合い、流布して行こうと思われる姿に皆さんも共感されている事でしょう。
これからも頑張ってください!
応援凸
また午後からの記事にお邪魔させてくださいね^^
> お昼休みに帰宅出来ませんでしたので、黒田さんの記事へコメントに伺うことが出来ずに、不義理をしてしまい、申し訳ありませんでしたm(__)m
いえいえ、どうぞお気になさらずに。
お忙しい中いつも有難うございます。
> 14万ヒットですか!おめでとうございます!
> 今まさに歴史を学ぶ事への大切さの気運が次第に高まり、日本全国広がりを見せている中、黒田さんの様に積極的に本物の歴史と向き合い、流布して行こうと思われる姿に皆さんも共感されている事でしょう。
> これからも頑張ってください!
お言葉感謝です。
2年半弱での14万HITは大変な数字だということを自覚して、これからも頑張ります!
歴史を様々な角度から検証し、ご自分の意見を交えて事実をできるだけ正確に記事にしておられることが、多くのリピーターを生んでこの数字になっていると思います。
定信も、一生懸命やっていたことは確かそうですね。ただ大きな方向を見誤っていたということでしょうね。
しかし当時の価値観では、意次のような柔軟な考え方ができる人間が幕府にはほとんどいなかったか、いたとしても民間人にしかいなかったんではないでしょうか。
それと現在の歴史教育についての疑問ですが、我々の習った歴史では定信の寛政の改革をむしろ評価していたように思います。
それは意図的ではなく歴史的事実への焦点の当て方が異なっていたということか、あるいは事実の検証が足らなかったということなんですかね?
> 歴史を様々な角度から検証し、ご自分の意見を交えて事実をできるだけ正確に記事にしておられることが、多くのリピーターを生んでこの数字になっていると思います。
有難うございます。毎日200~250人の皆様がご訪問くださいますので、これからも歴史の事実を分かりやすく自分の言葉で説明できればと考えております。
> 定信も、一生懸命やっていたことは確かそうですね。ただ大きな方向を見誤っていたということでしょうね。
仰るとおりですね。どれだけ努力を重ねようが、国民、あるいは国益と離れてしまっていてはどうしようもありません。
> しかし当時の価値観では、意次のような柔軟な考え方ができる人間が幕府にはほとんどいなかったか、いたとしても民間人にしかいなかったんではないでしょうか。
唯一の柔軟な発想家であった意次を裸同然で追放し、その後の残忍な仕打ち(後述します)を行った直後ですからね。頭の固い連中しか残っていないのも道理ですし、民間人も声を上げれば林子平のように処分を受けるとあっては誰も政治に貢献しようとは思いません。最悪の状態ですね。
> それと現在の歴史教育についての疑問ですが、我々の習った歴史では定信の寛政の改革をむしろ評価していたように思います。
> それは意図的ではなく歴史的事実への焦点の当て方が異なっていたということか、あるいは事実の検証が足らなかったということなんですかね?
幕府の公的学問であった朱子学からすれば、定信の考え方こそが「究極の理想」であって、意次のようにどれだけ有能であっても「異端児」として徹底的につぶされるんですよ。そんな幕府の基準がそのまま歴史の見方と化してしまって、現代においても本流として存在してしまっているというのが真相だと思います。もっとも、ようやく最近になって意次や綱吉に対する評価が変わりつつあるのは喜ばしいことではありますが。