南都六宗とは三論宗(さんろんしゅう)・成実宗(じょうじつしゅう)・法相宗(ほっそうしゅう)・倶舎宗(くしゃしゅう)・華厳宗(けごんしゅう)・律宗(りっしゅう)のことです。このうち律宗は先述した唐の高僧であった鑑真が我が国に戒律を伝えたのが始まりとされています。また、仏教とともに儒教(じゅきょう)の経典(きょうてん)も重んじられました。
当時の仏教は朝廷から厳しい統制を受けていましたが、その一方で先述した行基のように様々な社会事業を行い、多くの民衆に支持された僧もいました。社会事業は「善行(ぜんぎょう)を積むことで福徳(ふくとく)を生む」という仏教思想に基づいており、例えば光明皇后は平城京に「悲田院(ひでんいん)」を設けて孤児(こじ)や病人を収容したり、「施薬院(せやくいん)」を設けて医療を行ったりしています。
なお、仏教が日本社会との結び付きが強くなるにつれて、信仰した結果がこの世において実現し、欲望が達せられるという「現世利益(げんぜりやく)」を求める手段として仏教が活用されたり、神と仏とを同一視する思想である「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」がおこったりしました。
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