寮の各部屋の孤児一人ひとりに対して声をかけられた陛下は、最後の部屋で父と母の位牌(いはい)を抱いていた女の子に目を留められ、お尋ねになられました。
「(位牌をご覧になって)お父さん、お母さん?」
「はい、そうです」。
「どこで?」
「父はソ満(そまん、ソ連と満州のこと)国境で、母は引揚げの途中で亡くなりました」。
じっと女の子の顔をご覧になった陛下は、悲しそうなお顔をされてお言葉を続けられました。
「おさびしい?」
「いいえ、さびしくはありません。私は仏の子供ですから、お父さんやお母さんに会いたいと思えば、み仏様の前に座って呼びかければ、そばにやって来てそっと私を抱きしめてくれます。ですから私はさびしくはありません」。
昭和天皇は女の子の前に歩み寄られ、二度三度と頭をなでられると、
「仏の子供はお幸せね。これからも立派に育っておくれよ」。
そう仰った昭和天皇の目から、はたはたと涙が流れ落ち、女の子は小さな声で「お父さん」と陛下を呼びました。
このとき、その場にいた大人たちは、東京から随行した新聞記者も含めて、皆が顔を覆(おお)って泣いたそうです。
「みほとけの 教(おしえ)まもりて すくすくと 生(お)ひ育つべき 子らにさちあれ」
上記の御製は、因通寺の梵鐘(ぼんしょう)に鋳込(いこ)まれています。
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