そんな折に、敗戦直後に臨時軍事費が大量に支払われたり、生活に不安を感じた多くの人々が預金を引き出ししたりしたことによって、日本銀行の対民間貸出しが増加するなど、戦後処理にともなって政府が通貨を増発しました。
物不足で供給が停滞している際に、多数の通貨が市中に出回って需要を誘発したことから、悪性のインフレーション(=ハイパーインフレ)が我が国で進行してしまったのです。
このため、政府は昭和21(1946)年2月に幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣が金融緊急措置令を公布し、新紙幣(=新円)を発行した後に一週間を期限として手持ちの紙幣(=旧円)と交換させ(これを新円切換えといいます)、それ以降の旧円の流通を禁止しました。
これによって一定額以上の預金封鎖が可能となり、同年2月時点で618億円あった日銀券が、3月には152億円に激減するなど、インフレを抑える効果をもたらしましたが、結局は一時しのぎに過ぎず、通貨の流通量はその後も増大を続け、インフレも進行しました。
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