聖徳太子は四天王寺の他に607年に法隆寺(別名を斑鳩寺=いかるがでら)を自ら建立し、また蘇我馬子が飛鳥寺(あすかでら、別名を法興寺=ほうこうじ)を、帰化人(=渡来人)系の秦(はた)氏が広隆寺(こうりゅうじ)をそれぞれ建立しました。
また、聖徳太子よりも後の時代に舒明(じょめい)天皇が百済大寺(くだらおおでら、後の大官大寺=だいかんだいじ、あるいは現在の大安寺=だいあんじのルーツ)を建立したとされています。
寺院内の建物の配置のことを「伽藍(がらん)配置」といいますが、四天王寺や飛鳥寺の伽藍配置が大陸伝来の配置であるのに対して、法隆寺の配置は我が国独特のものとされており、こんなところにも我が国独自の文化への主張が見られます。
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