聖徳太子(当時は厩戸皇子)はこのときまだ14歳の少年ながら戦闘に参加しましたが、戦いは蘇我氏にとって不利な状況が続きました。思いあまった聖徳太子は自ら四天王像を彫刻して「この戦いに勝利したら四天王を安置する寺院を建立(こんりゅう)し、この世のありとあらゆる人々を救済する」と誓いました。
すると、味方の放った矢が物部守屋に命中して戦死し、大将を失った物部軍は総崩れとなって敗退しました。その後、聖徳太子が四天王との約束を果たすために593年に建立したのが現在の四天王寺と伝えられています。
なお、四天王寺を実際に建築したのは世界最古の企業(578年創業)とされる金剛組(こんごうぐみ)であり、現在も四天王寺のそばに本社があります。また、大阪の繁華街として「梅田(うめだ)」「難波(なんば)」と並んで有名な「天王寺(てんのうじ)」は、四天王寺の略称がそのまま地名と化したものです。
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