我々日本人には、かねてより清廉潔白(せいれんけっぱく、心が清くて私欲がなく後ろ暗いところのないこと)を好む風潮があり、それ自体は非常に重要なことではありますが、対外的には全く通用しないどころか、逆に利用されてしまうという危険性すらあるのです。
聖徳太子と高句麗との外交姿勢の違いは、現代に生きる私たちに大きな教訓を残しているといえるでしょう。
なお、遣隋使以後の我が国は、大陸文化の吸収のために朝貢はしても冊封されない国、という立場をとりました。これを「不臣(ふしん)の朝貢国」といいます。これは、チャイナの冊封体制からの脱却を意味しており、聖徳太子の功績の大きさをうかがわせるともいえますね。
また、遣隋使には「文化の交流」というもう一つの側面もありました。608年の3回目の遣隋使の際に、隋への留学生や学問僧として高向玄理(たかむこのくろまろ、または「げんり」)や南淵請安(みなぶちのしょうあん)、僧旻(みん)らが同行していますが、彼らは大陸の優れた政治制度や仏教文化などを学んだ後に帰国し、来るべき新時代に大きく貢献することになります。
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