大和朝廷が動揺(どうよう)しつつあった6世紀の後半には、東アジアでも大きな動きが見られました。中国大陸では南北朝時代などによって混乱状態が続いていましたが、北朝からおこった隋(ずい)が589年に大陸を約300年ぶりに統一したのです。この事実は、それまで朝鮮半島で独立を保っていた高句麗や百済・新羅のみならず、我が国にも大きな衝撃を与えました。
なぜなら、新たな統一国家である隋の誕生によって、それまで大陸の内に向けられていた巨大なエネルギーが外へ押し出されることとなり、東アジアにおける政治の情勢が微妙な状態になってしまったからです。
果たして、隋は陸続きの高句麗に積極的に攻め込むことで国力を高めようとしました。一度は隋の攻撃をはね返した高句麗でしたが、依然として危機にあることに変わりはありません。
隋の動向によっては、朝鮮半島がすべて侵略されるばかりか、我が国にも攻め寄せる可能性が十分考えられました。そうなれば、我が国は冊封(さくほう)体制から脱却するどころか亡国の危機を迎えかねないという非常に難しい立場に追い込まれてしまいましたが、そんなピンチに際して、誰しもがあっと驚くような強気の外交を行った人物がいたことで、我が国は大きな危機を回避することができました。
その人物こそが、かの有名な聖徳太子(しょうとくたいし)だったのです。
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