一方、朝廷も直属の民である「名代(なしろ)」「子代(こしろ)」を持ち、彼らに生産物を納めさせるとともに、直轄地(ちょっかつち)である「屯倉(みやけ)」を各地に設けて「田部(たべ)」と呼ばれた人々に耕作させました。
朝廷には祭祀(さいし)や軍事などの様々な職務がありましたが、これらは「伴造(とものみやつこ)」と呼ばれる氏(うじ)が分担しました。伴造に選ばれたのは秦(はた)氏などの帰化人(=渡来人)を祖先にもつ豪族が中心であり、彼らは「伴(とも)」と呼ばれる世襲(せしゅう)の職業集団や「品部(しなべ、または「ともべ」)」と呼ばれる職務における能力者を統率して朝廷に仕えました。
なお、部曲や名代・子代あるいは品部などを総称して「部民(べのたみ、または「ぶみん」)」といいました。また、捕虜(ほりょ)や罪人など部民よりさらに身分の低い者は「ヤツコ」または「奴婢(ぬひ)」と呼ばれました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。