家族墓的な性格を持つようになって葬送儀礼(そうそうぎれい)が変化したことで、副葬品もそれまでの故人の権威を示すという意味から、故人の生前の思いが込められた内容に変化していったことをあらわしています。
また後期の古墳には、九州地方を中心に古墳内部の壁や石棺(せっかん)に朱色などの顔料を用いた彩色壁画(さいしきへきが)が描かれた装飾(そうしょく)古墳がつくられるようになったほか、7世紀中頃には近畿で天皇の陵墓を中心に八角墳(はっかくふん)がつくられました。
一方、これらの変化が定着したことで、権威の象徴としての古墳の意義が薄れると、大化(たいか)2(646)年には薄葬令(はくそうれい)が出されて墳墓の大きさが身分に応じて制限され、また仏教の普及によって火葬(かそう)が広まったこともあり、古墳文化は終焉(しゅうえん)を迎えました。
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