「宋書」倭国伝(そうじょわこくでん)などによれば、倭王の讃(さん)・珍(ちん)・済(せい)・興(こう)・武(ぶ)が相次いで南朝の宋や斉に使者を遣わし、朝鮮半島南部への軍事指揮権を認めてもらおうとしています。
要するに、我が国はチャイナの皇帝の権威を活用することで、朝鮮半島における政治的立場を有利にしようという思惑(おもわく)があったと考えられるのです。
なお、倭の五王が我が国のどの天皇にあてはまるのかということに関しては様々な説がありますが、少なくとも済は19代の允恭(いんぎょう)天皇、興は20代の安康(あんこう)天皇、武は21代の雄略(ゆうりゃく)天皇だとされています。
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