古墳時代も中期に入った5世紀前半には、大阪府羽曳野市(おおさかふはびきのし)にある応神天皇陵(おうじんてんのうりょう)や、大阪府堺市堺区にある仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)などの巨大な前方後円墳がつくられました。なお、最近の教科書では応神天皇陵のことを「誉田御廟山(こんだごびょうやま)古墳」、仁徳天皇陵のことを「大仙陵(だいせんりょう)古墳」と記しています。
これらの古墳は平野の中に墳丘を盛り上げ、周囲に濠(ほり)をめぐらせた構造をしていますが、なかでも仁徳天皇陵は全長約486mと世界最大級の墳墓(ふんぼ)となっています。また、応神天皇陵も全長約425mと全国第2位の規模を誇(ほこ)っています。
古墳時代の中期の副葬品は、それまでの呪術的な性格のものが姿を消し、鉄製の刀剣や甲冑(かっちゅう)あるいは馬具(ばぐ)などの武器や武具が多くなりました。このことから、当時の被葬者に政治的・軍事的支配者としての性格が強まったと考えられます。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。