「倭人(わじん)は歳(とし)の数え方を知らない。ただ春の耕作と秋の収穫をもって年紀としている」。
当時の倭人、すなわち日本人は春分と秋分をそれぞれ一つの年紀として、つまり通常の一年を倍の二年として計算していたというのです。これを「春秋年(しゅんじゅうねん)」と呼びます。
例えば、日本書紀によれば神武天皇は127歳で崩御されていますが、もしこれを春秋年として再計算すれば、半分の63~64歳で崩御されていることになり、辻褄(つじつま)が合います。
なお、以上の見解は長浜浩明(ながはまひろあき)氏の著書である「古代日本『謎』の時代を解き明かす」を参考にしており、長浜氏によれば、神武天皇のご即位の年は従来の紀元前660年ではなく、紀元前70年であるということです。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史道場」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。