集落同士の争いは、より強い集落が周辺のいくつかの集落を統合してさらに強大になっていくという効果をもたらし、強大な集落はやがて「クニ」あるいは「小国(しょうこく)」と呼ばれる政治的なまとまりと化しました。
ところで、当時のチャイナの歴代の皇帝は、自国こそが政治や思想あるいは文化の中心であり、他の地域はすべて劣っていると見なしていました。これを「中華思想」といいます。
皇帝は周辺民族の長に対して自己に従うことを求め、逆らえば有無を言わさずに滅ぼしました。こうした力関係のもとで、服属した長には「王」などの称号を与えて現地の支配を認めるかわりに、自己を支配者として尊敬させる(=君臣関係を結ぶ)という、いわゆる「朝貢(ちょうこう)関係」を強制しました。
このような体制を「冊封(さくほう)」といい、古代の東アジアの国際秩序たる「華夷(かい)秩序」が構成されたと考えられています。
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