住居も縄文時代の竪穴住居から掘立柱の平地式建物が多くなり、住居が集まってつくられた集落の規模も次第に大きくなりました。
集落が大きくなるにつれて問題となったのは、いかにして集落全体を外敵から守るかということでした。そこで人々は、集落の周りに深い濠(ほり)や土塁(どるい)をめぐらしました。このような集落のことを環濠(かんごう)集落といいます。
なお、この時代に環濠集落が広まった理由は、軍事的な緊張が高まったからです。全国各地に大きな集落がたくさんできると、その中には収穫が少なかったりするのも出てきますから、現代のように秩序がしっかりしていなければ、大豊作で潤(うるお)っている他所(よそ)の集落を狙(ねら)うなど、収穫物を求めて争うようになるのは必然でした。かくして我が国も争いの時代に入っていくようになるのです。
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