ただし、先述のとおり日本列島で水稲耕作が行われたのは今から約3000年前(紀元前10世紀頃)という見解も存在します。また、弥生文化の及んだ地域は日本列島のほぼ全域に及んだ縄文文化とは異なり、東北地方から九州南部までに留まりました。
なぜなら、北海道の気候が水稲耕作に適さなかったからです。北海道では狩猟や漁労に基礎をおき、サケやマスなどを採集する続縄文文化が続き、7世紀以降には擦文(さつもん)土器を伴う擦文文化や、オホーツク土器を伴うオホーツク文化が成立しました。
一方、沖縄などの南西諸島では貝類などを採集する南島(なんとう)文化(=貝塚文化)が栄えましたが、こうした北海道や南西諸島の文化は漁労・狩猟に基礎を置く文化でした。
水稲耕作の開始によって、人々の生活は食物採取から食物生産への段階へと入っていきました。すなわち、それまでは狩猟・漁労などの自然環境に依存(いそん)する生活から、水稲耕作が可能となったことによって、食糧を計画的に生産できる安定した経済生活へと移っていったのです。
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