なお、始皇帝の「始」は「最初(一番目)」の意味であり、始皇帝の後継者はその称号を一部受け継ぎ、世代が下がるごとに「二世皇帝」「三世皇帝」という称号を受けることとされました。また、国号の「秦」は英語の「China(チャイナ)」の語源であり、中国大陸の周辺の海洋を「東シナ海」「南シナ海」と呼ぶのも、秦の名前が由来となっています。
また、始皇帝の墓の付近から「兵馬俑坑(へいばようこう)」が発見され、兵士や馬をかたどった等身大の焼き物の人形である兵馬俑が、始皇帝の墓のそばに整然と並べられています。
漢は大陸統一後も勢力の拡大を続け、武帝(ぶてい)の紀元前108年には朝鮮半島北部を中心とする地域を直轄地(ちょっかつち)とし、楽浪郡(らくろうぐん)以下の四郡を置きました。その後も大陸周辺で何度も戦乱が繰り返されたことで、周辺の諸民族は漢の影響を強く受けることになります。
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