一般邦人の帰国は困難を極め、終戦時にいわゆる外地にあった邦人居留民のうち、ソ連の支配下に入った満州や、北朝鮮からの引揚げの際には多くの犠牲者が出ました。後に横綱に昇進し、国民栄誉賞を受賞した大鵬(たいほう)関も、幼少の頃に命からがら南樺太(みなみからふと)から引揚げています。
ソ連軍は我が国がポツダム宣言を受けいれた後も侵攻を重ね、8月18日には千島(ちしま)列島の北東端に位置していた占守島(しゅむしゅとう)に攻め込みましたが、樋口季一郎(ひぐちきいちろう)司令官の決断によって日本軍が勇敢に戦ったこともあり、北海道をソ連に占領されることは免(まぬが)れました。
しかし、ソ連の理不尽さはこの後も止まることを知らず、占守島上陸作戦の後も南樺太を占領したほか、択捉島(えとろふとう)や国後島(くなしりとう)なども不法に支配し、我が国固有の領土であるはずの北方領土は、いまだにロシアから返還されていません。
加えて、ソ連軍が侵攻した満州や北朝鮮・南樺太・千島列島で武装解除された軍人のうち、60万人近くがシベリアなど各地の収容所に送られるという抑留(よくりゅう)を受け、長期間の過酷な強制労働によって約6万人もの人々が亡くなったという悲劇があったことを、私たちは決して忘れてはならないでしょう。
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