「念のため言っておく。今の状態で阿南陸相が言うように本土決戦に突入すれば、我が国がどうなるか私は非常に心配である。あるいは日本民族はみんな死んでしまうかもしれない。もしそうなれば、この国を誰が子孫に伝えることができるというのか」。
「祖先から受け継いだ我が国を子孫に伝えることが天皇としての務めであるが、今となっては一人でも多くの日本人に生き残ってもらい、その人々に我が国の未来を任せる以外に、この国を子孫に伝える道はないと思う」。
「それにこのまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことでもある。明治天皇の三国干渉の際のお心持ちを考え、堪(た)えがたく、また忍びがたいことであるが、戦争をやめる決心をした」。
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会議は鈴木首相の他に、阿南惟幾(あなみこれちか)陸軍大臣、東郷茂徳(とうごうしげのり)外務大臣など合計7人で行われ、東郷外相は宣言の受諾を、阿南陸相はいわゆる本土決戦も辞さないと徹底抗戦をそれぞれ主張し、いつまで経っても平行線が続きました。
やがて日付も10日に変わり、開始から2時間経ったある時、鈴木首相は立ち上がって昭和天皇に向かい、こう言いました。
「出席者一同がそれぞれ考えを述べましたが、どうしても意見がまとまりません。まことに畏(おそ)れ多いことながら、ここは陛下(へいか)の思(おぼ)し召(め)しをおうかがいして、私どもの考えをまとめたいと思います」。
首相による発言をお受けになって、昭和天皇はお言葉を発せられました。
「それなら意見を言おう。私の考えは外務大臣と同じ(=ポツダム宣言を受諾する)である」。
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我が国が降伏寸前であったにもかかわらず、まるで実験を行うかのように原爆を2つも落としたアメリカによる暴挙は、国際法上でも決して許されることのない、民間人などの非戦闘員を対象とする空前の大虐殺(だいぎゃくさつ)です。
さらにはアメリカの原爆投下に慌(あわ)てたのか、ソ連がそれまでの日ソ中立条約を一方的に破って8日に我が国に宣戦布告し、9日から満州(現在の中国東北部)北部などへの侵攻を開始しました。
このままでは北海道をはじめとする我が国北部の領土がソ連に奪われてしまいます。我が国はまさに絶体絶命の危機に陥(おちい)ってしまったのでした。
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「対面式のライブ講習会」の実施に際して、以下の措置にご理解ご協力いただきますようお願いします。なお、状況の変化により取り扱いを随時変更させていただく場合がございますのでご留意ください。
①会場入り口に備え付けてある『消毒用アルコール』で手指を消毒してください。
②受講中は『マスク』着用を必須とします。
③『咳エチケット』をお守りください。
④風邪症状がある場合等は受講を慎重にご判断ください。咳・発熱などの一般的な風邪症状がある場合には、受講をお控えいただくようお願いいたします。
オンライン式講習会のお申し込み方法の詳細は追記に掲載しておりますので、ご参照ください。また、準備の都合上、オンライン式の講座のお申し込みは3日前(11月24日)の正午(午後0時)までとなりますのでご注意ください。対面式のライブ講習会は当日の参加も可能です。

(クリックで拡大されます)
第93回黒田裕樹の歴史講座「日本古代史その1 ~日本文明の源泉~」
黒田裕樹の歴史講座では、今回より平安時代までの「日本古代史」の講座を始めます。1回目は「日本文明の源泉」と題して、人類の誕生から旧石器・縄文・弥生文化あるいは邪馬台国を中心に、現代まで続く日本文明の源泉などについて黒田節で分かりやすく解説します。ご期待ください!
主催:株式会社スペック・正しい歴史を伝える会
後援:授業づくりJAPAN・新聞アイデンティティ
日時:令和4年11月27日(日) 午後2時より
会場:シアターSPEC(株式会社スペック)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
※会場は「太融寺」交差点角の太融寺の隣、茶色いレンガ模様の9階建てのビルの8階です。1階に大阪商工信用金庫があります。ホワイティうめだの「泉の広場」M14出口を左側から出て、扇町通沿いに真っ直ぐ歩いてください。
参加費:金2,000円(税込・高校生以下は無料、その他学生割引あり)
※オンライン式講習会のお申し込みにおいて、レジュメを事前に郵送でご希望の場合は金2,500円(税込)になります。
オンライン式講習会のお申し込み締め切り:11月24日の正午(午後0時)まで
※対面式のライブ講習会は当日の参加も可能です
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①まずはこちらのURLから「お申し込み」をクリックしてください。
https://rekishidojo.com/
②講座申込フォームに必要事項を記載のうえ、送信してください。折り返し、ご指定のメールアドレスに事務局からの案内メールが届きますので、それをご参照のうえ、24時間以内にPayPalまたは銀行振込で参加費をお支払いください。
③講座当日に使用するレジュメは、ご入金確認後にレジュメデータ(PDF)をメールにてお送りさせていただきます。なお、ご入金の確認が取れない方につきましては、キャンセル扱いとなりますのでご注意ください。
<当日ご準備いただくもの>
①カメラ&マイク機能搭載のパソコン
※スマートフォンのアプリからもご使用いただけますが、画質・音質に不具合が生じる可能性があります。スマートフォン以外のパソコンを使用されることを推奨いたします。
②歴史講座レジュメ
※レジュメにつきましては、ご入金後にメールにてレジュメデータ(PDF)をお送りさせていただきます。なお、レジュメの事前の郵送も承りますが、先述のとおり参加費が金500円追加となります。
<ZOOMの招待状について>
ZOOMでご参加いただくためには、事務局よりお送りさせていただく『招待状』よりご入室していただく必要があります。招待状につきましては、講座前日の午後4時以降にお送りします。
その他、ご不明な点がございましたら、ご遠慮なく下記の事務局にまでお問合せください。
<お問い合わせ先>
〒530-0051
大阪府大阪市北区太融寺町5-15梅田イーストビル8階
電話:050-3530-8995
メール:theaterspec@specgroup.jp
黒田裕樹の歴史講座事務局(株式会社スペック内)
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いつの時代であろうとも、天皇なくして我が国の将来は有り得ません。このため、我が国ではポツダム宣言を受けいれるかどうか、態度を明確にしないまま連合国の出方をうかがうことにしたのですが、この裏には、アメリカによるとんでもない謀略が隠されていました。
実は、当初の宣言文には「日本が降伏すれば天皇の地位を保証する」と書かれていたのです。駐日大使の経験者で我が国の実情をよく知っていたグルーによって、我が国が宣言に応じやすいようにつくられていたのですが、土壇場(どたんば)でアメリカ大統領のトルーマンが削除しました。
トルーマンが削除した宣言が発表されたことによって、アメリカは宣言以前に決まっていた計画を実行に移しやすくなったのです。その計画こそが、悪名高い「原子爆弾の日本への投下」でした。
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鈴木内閣は、表向きは本土決戦などの強硬策を唱えながら、その裏では密(ひそ)かに戦争終結を図ろうと努力していました。しかし、交渉がなかなか進まない間に、アメリカのトルーマン大統領とイギリスのチャーチル首相、そしてソ連(現在のロシア)のスターリンが、7月にドイツのベルリン郊外のポツダムで、第二次世界大戦の戦後処理を決定するための会談を行いました。これを「ポツダム会談」といいます。
会談を受けて、7月26日にはアメリカ・イギリス・中華民国の3か国による「ポツダム宣言」が発表されました。当時はソ連が対日戦に加わっていなかったため、中華民国を加えることでカムフラージュしようと考えたのです。
なお、鈴木内閣はソ連が参戦の決定をしていたことを見抜けず、ソ連に対して和平の斡旋(あっせん)を要請していました。このあたりにも、当時の我が国の情報戦における決定的な敗北、インテリジェンスの欠如(けつじょ)が見受けられます。
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大統領の訃報(ふほう)を耳にした鈴木首相は、当時存在した同盟通信社の記者の質問に答えるかたちで「大統領の死がアメリカ国民に対して意味する大きな損失は私にはよく同感できる。深い哀悼(あいとう)の意をアメリカ国民に向けて送るものである」との談話を発表しました。
我が国の同盟国であったドイツのヒトラーが、ルーズベルト大統領の死に際して誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)の言葉を並べ立てたのとは対照的な、敗色濃厚の窮地(きゅうち)に立ちながらも品位と礼節を失わなかった、武士道精神の発露(はつろ)たる鈴木首相の言葉は、世界中から称賛されました。
なお、ルーズベルト大統領の急死を受けて、副大統領のトルーマンが新たに大統領に就任しました。
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しかし、これは「自決では年金が出ないので、軍の命令があったことにした」という背景があり、当時の指揮官が敢えて謂(い)われなき罪をかぶることで、多くの住民を救おうとした自己犠牲の精神がその真実だったのです。
沖縄戦から60年が経った平成17(2005)年、当時の指揮官やその遺族が、小説家や出版社を相手に名誉毀損(きそん)で訴えました。これを「沖縄集団自決冤罪(えんざい)訴訟」といいます。
冤罪訴訟は損害賠償請求を目的とする民事訴訟だったことから、最高裁まで争って「損害賠償金を取れなかった」という点では原告側の敗訴に終わりましたが、その一方で裁判所は「軍による自決命令は証明されていない」と判断しました。歴史の真実を明らかにするという点では実質的に勝訴だったのであり、こうした流れを受けて、最近の教科書からは「軍命による自決」の記載が削除されています。
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実は、戦艦大和の出撃は、我が身を棄(す)てても「沖縄防衛」を達成するという「特攻」の精神によるものでした。出撃の真意を知らされた際に「初めは顔が真っ青に、しかしすぐに『よし、やってやる!』と真っ赤になった」という乗組員の証言が残されています。
戦艦大和に航空機による護衛がなかったのは事実であり、そうである以上は「本当の使命」が達成できる可能性がゼロに等しいものでしたが、それが分かっていたからこそ、沖縄の人々を一人でも多く守るという崇高(すうこう)な使命を帯びて、戦艦大和は一縷(いちる)の望みをかけて「特攻」を行い、そして壮絶な最期を遂(と)げたのです。
戦艦大和の撃沈後、沖縄戦は本格的な戦闘となり、アメリカ軍の攻撃によって一般県民を含む多くの死傷者を出した末、6月22日の攻撃を最後に守備隊が全滅しました。沖縄はアメリカによって占領され、昭和47(1972)年まで我が国に返還されなかったのです。
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日本陸軍は制空権を失った状況の下で懸命な指揮を執り、一般県民の防衛隊も兵力に加えた守備隊が軍民一体となって、上陸したアメリカ軍と激しい戦闘を続けました。
また多数の神風特攻隊が出撃したほか、潜航艇(せんこうてい)も「人間魚雷」などの特攻隊としてアメリカ艦隊に大きな損害を与え、さらには沖縄を助けるべく、戦艦「大和(やまと)」も衣服など多くの民需物資を積載して出撃しました。
しかし、戦艦大和は無念にも昭和20(1945)年4月7日に坊ノ岬沖(ぼうのみさきおき)においてアメリカ軍に撃沈(げきちん)され、3,000人余りの尊い生命が失われました。
ところで、戦艦大和の出撃に関しては、常識であった「航空機による護衛」がありませんでした。このことから「戦艦大和は無駄死にであった」と否定的にとらえる人が多いようですが、これは本当のことでしょうか。
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