「対面式のライブ講習会」の実施に際して、以下の措置にご理解ご協力いただきますようお願いします。なお、状況の変化により取り扱いを随時変更させていただく場合がございますのでご留意ください。
①会場入り口に備え付けてある『消毒用アルコール』で手指を消毒してください。
②受講中は『マスク』着用を必須とします。
③『咳エチケット』をお守りください。
④風邪症状がある場合等は受講を慎重にご判断ください。咳・発熱などの一般的な風邪症状がある場合には、受講をお控えいただくようお願いいたします。
オンライン式講習会のお申し込み方法の詳細は追記に掲載しておりますので、ご参照ください。また、準備の都合上、オンライン式の講座のお申し込みは3日前(7月28日)の正午(午後0時)までとなりますのでご注意ください。対面式のライブ講習会は当日の参加も可能です。

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第91回黒田裕樹の歴史講座「戦国・安土桃山時代その1 ~織田信長の統一事業~」
黒田裕樹の歴史講座では、今回から2回にわたって「戦国・安土桃山時代」を振り返ります。1回目は「織田信長の統一事業」と題して、信長が天下統一に向けて歩んだ様々な足跡や、戦国大名の誕生とその領国支配、さらにはヨーロッパによる大航海時代やキリスト教の我が国への伝来などについて、黒田節が分かりやすく紹介します。ご期待ください!
主催:株式会社スペック・正しい歴史を伝える会
後援:授業づくりJAPAN・新聞アイデンティティ
日時:令和4年7月31日(日) 午後2時より
会場:シアターSPEC(株式会社スペック)
(※下線部をクリックすると、所在地や地図が書かれたリンク先に移動できます)
※会場は「太融寺」交差点角の太融寺の隣、茶色いレンガ模様の9階建てのビルの8階です。1階に大阪商工信用金庫があります。ホワイティうめだの「泉の広場」M14出口を左側から出て、扇町通沿いに真っ直ぐ歩いてください。
参加費:金2,000円(税込・高校生以下は無料、その他学生割引あり)
※オンライン式講習会のお申し込みにおいて、レジュメを事前に郵送でご希望の場合は金2,500円(税込)になります。
オンライン式講習会のお申し込み締め切り:7月28日の正午(午後0時)まで
※対面式のライブ講習会は当日の参加も可能です
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①まずはこちらのURLから「お申し込み」をクリックしてください。
https://rekishidojo.com/
②講座申込フォームに必要事項を記載のうえ、送信してください。折り返し、ご指定のメールアドレスに事務局からの案内メールが届きますので、それをご参照のうえ、24時間以内にPayPalまたは銀行振込で参加費をお支払いください。
③講座当日に使用するレジュメは、ご入金確認後にレジュメデータ(PDF)をメールにてお送りさせていただきます。なお、ご入金の確認が取れない方につきましては、キャンセル扱いとなりますのでご注意ください。
<当日ご準備いただくもの>
①カメラ&マイク機能搭載のパソコン
※スマートフォンのアプリからもご使用いただけますが、画質・音質に不具合が生じる可能性があります。スマートフォン以外のパソコンを使用されることを推奨いたします。
②歴史講座レジュメ
※レジュメにつきましては、ご入金後にメールにてレジュメデータ(PDF)をお送りさせていただきます。なお、レジュメの事前の郵送も承りますが、先述のとおり参加費が金500円追加となります。
<ZOOMの招待状について>
ZOOMでご参加いただくためには、事務局よりお送りさせていただく『招待状』よりご入室していただく必要があります。招待状につきましては、講座前日の午後4時以降にお送りします。
その他、ご不明な点がございましたら、ご遠慮なく下記の事務局にまでお問合せください。
<お問い合わせ先>
〒530-0051
大阪府大阪市北区太融寺町5-15梅田イーストビル8階
電話:050-3530-8995
メール:theaterspec@specgroup.jp
黒田裕樹の歴史講座事務局(株式会社スペック内)
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日本の参戦によって、同盟国であったドイツやイタリアもアメリカに宣戦布告し、第二次世界大戦はヨーロッパとアジアを中心として、全世界を巻き込んだ本格的な戦争となりました。なお、アメリカ・イギリス・ソ連(現在のロシア)などは「連合国」と呼ばれ、日本・ドイツ・イタリアは「枢軸国(すうじくこく)」と呼ばれました。
ところで、大東亜戦争の呼称は戦後にGHQ(=連合国軍最高司令官総司令部)によって使用が禁止され、太平洋戦争と呼ばれるようになりました。最近の歴史教科書では「アジア太平洋戦争」という表記も見られるようです。
しかし、歴史の真実を探究するには、特定の重要な事象に関して、後世の人間が勝手に名称を改めるというようなことをするべきではありません。名は体を表すと言います。「大東亜戦争」という呼び名で戦った戦争の意味は、その名でしか浮かび上がらせることはできません。従いまして、当講座では「大東亜戦争」という呼称で統一します。
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繰り返しますが、私たち日本国民が、ルーズベルト大統領による一連の手法を「卑劣」であると一方的に断じることがあっても、それならそれで、なぜ当時の日本政府の首脳がルーズベルト大統領に勝てなかったのかということを「反省」する必要もあるのではないでしょうか。
戦いに敗れた相手を罵(ののし)るだけでは、私たちは永遠にその相手には勝てません。もし将来にリベンジの機会があった場合、絶対に負けないようにするには私たちに何が足りないのか。あるいはどの部分を「改良」すれば勝てるのか。
二度と負けられない「次」のためにあらん限りの対策を考え、それを実行することこそが、我が国の輝かしい未来を信じて潔く散っていった無数の戦死者や犠牲者、すなわち「英霊」の皆様に報いる道ではないでしょうか。
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ただし、アメリカのもう一つの悲願であった「東アジアにアメリカの権益を構築する」ことは、ルーズベルト大統領が1945(昭和20)年に急死すると、後継のトルーマン大統領も果たせず、それどころか、ソ連(現在のロシア)や中華人民共和国といった共産主義国家を戦後に急成長させる結果となりました。
これは、ルーズベルト大統領の周囲にソ連(=コミンテルン)のスパイが多数存在していたことが原因とされていますが、それ以外にも、日本との戦争が長期間にわたり、約10万人という予想外の多数の戦死者を出したことなどが、戦後のルーズベルト大統領の評価を下げることにつながりました。
ルーズベルト大統領に関する様々な評価を見れば、国益を追求し続けることの難しさや、謀略を仕掛けた一方で自分自身が謀略に引っかかっていたことなど、人間の生き様の複雑さや困難さを思い知らされます。
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こうした事態を打開するためには、イギリスの要請を受けて第二次世界大戦に参加し、戦争がもたらす様々な特需によって経済を発展させるしかないとルーズベルト大統領は考えましたが、当時のアメリカは伝統的に「孤立主義」であり、他国の戦争に介入することを嫌っていました。
反戦ムードに満ちた国内の雰囲気を察したルーズベルト大統領は、自らの本音を封印して「攻撃を受けた場合を除いて絶対に戦争はしない」と公約し、1940(昭和15)年に三選を果たすと、イギリスなどと連携して日本を挑発し、先制攻撃をさせることで、アメリカがヨーロッパ戦線に参加できるように仕向けました。
ありとあらゆる工作や謀略を行ったルーズベルト大統領は、最終的にハル・ノートを突き付けることによって日本に真珠湾攻撃をさせるとともに、現地の司令官に情報を流さなかったりしたことでわざと日本を勝たせ(るように見せかけ)て、空母や最新鋭の軍艦を事前に真珠湾から脱出させることで、実害を最小限に食い止めました。
こうしてアメリカの第二次世界大戦への参加の大義名分をつくり出したルーズベルト大統領は、日本大使館の怠慢で国交断絶の通告が遅れたことも最大限に活用して「リメンバー・パールハーバー」のプロパガンダを完成させ、彼の予想どおりに戦争特需が起きて、アメリカ経済は劇的な回復を遂(と)げたのです。
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しかし、大統領の行動を卑劣と感じるということは、裏を返せば、我々が第二次世界大戦当時から「全く成長していない」ことを示している、とも言えるのではないでしょうか。
なぜなら、ルーズベルトがアメリカの大統領である以上、彼がアメリカの国益を第一に考え、日本がその障害になるのであれば取り除こうとするのは、むしろ当然だからです。アメリカ側から見れば、彼の一連の行動、すなわち当時のアメリカは少しも悪くありません。
では、当時の世界における「アメリカにとっての最大限の国益」とは、いったい何だったのでしょうか。
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そして我が国が真珠湾攻撃を行うと、チャーチルは「これで戦争に勝った」と心から喜ぶとともに「長い間の苦しみから解放された」と後に書かれた自著の中で述べています。
かくしてルーズベルト大統領は、アメリカをヨーロッパ戦線に参加させるために日本をギリギリの状態にまで追い込み、先制攻撃させるよう罠(わな)を仕掛けましたが、それは同時に、真珠湾攻撃によって戦死したハワイの太平洋艦隊の兵士たち数千人を「生贄(いけにえ)」にしたことも意味していました。
ルーズベルト大統領の政敵で、当時は野党だった共和党のリーダーを務めたハミルトン=フィッシュは、後に出版した回顧録の中で「私たちはルーズベルトが欺(あざむ)いて(アメリカを)戦争に導いたなどとは(当時は)疑いもしなかった」と述べています。
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しかし、実際に彼が攻撃前夜に取った行動は、ホワイトハウスに家族を招いての食事会でした。その際にルーズベルト大統領は「戦争は明日始まる」と家族に対して満足そうに言ったとされています。
なぜ大統領は嬉(うれ)しそうだったのでしょうか。それは、彼にとって悲願であった「日本を挑発し続けることで先制攻撃させて、その結果アメリカが第二次世界大戦に堂々と参戦できる」という目標が達成されようとしていたからです。
そして、その悲願は、大西洋を越えたイギリスの首相であるチャーチルにとっても同じことでした。
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まず真珠湾攻撃の以前、アメリカがハル・ノートを我が国に通告した直後に、真珠湾を母港とする2隻(せき)の航空母艦(=空母)すべてが、本国の命令によって新鋭艦を伴って出港しました。この結果、真珠湾に残った軍艦は、そのほとんどが第一次世界大戦以来の旧型艦しかなく、しかも空母が存在しないという状態となってしまっていたのです。
またアメリカは、暗号の解読によって、我が国の開戦決定と真珠湾攻撃の予定日を事前に知りながら、極めて重要なはずのその情報をハワイに知らせるのを遅らせたため、現地の太平洋艦隊司令官が実際に情報を受け取ったのは、真珠湾攻撃が終わってから何と6時間以上も経ってからでした。
真珠湾が攻撃された昭和16(1941)年12月7日(現地時間)は日曜日だったため、何も知らされていない現地の司令官は当日にゴルフを楽しむ予定だったと伝えられています。この事実は何を意味しているのでしょうか。
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その際、我が国の大使館員の怠慢によって、フランクリン=ルーズベルト大統領が「日本軍による騙し討ち」と喧伝して「リメンバー・パールハーバー」と唱えたことで、それまで反戦気分の強かったアメリカ国民の我が国に対する敵愾心(てきがいしん)を一気に高め、国家を挙げて対日参戦のムードをつくり上げることに成功しました。
ところが、我が国が真珠湾攻撃を行うことを、ルーズベルト大統領をはじめとするアメリカ政府首脳が事前にすべて察知しており、我が国が「先制攻撃」を仕掛けてくるのを待ち構えていたという説があることを皆さんはご存知でしょうか。
当時のアメリカは、我が国の秘密文書の暗号をことごとく解読しており、日本大使館が慌(あわ)てて準備していた国交断絶の通告たる「対米覚書」も、解読のうえルーズベルト大統領に事前に手渡されていたというのです。
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