なお、本来はお酒を造っていた酒屋でしたが、売上げが伸びて多額の資本を持ったことで、次第に金貸しなどの様々な業種を扱うようになりました。また土倉の名は、金貸しが質入れされた品物を保管するために、土塗(つちぬ)りの壁で周りを囲った倉庫である土蔵(どぞう)を建てたことに由来します。
商業流通の活発化によって、物資を輸送するための海や川、あるいは陸における交通手段も発達しました。水上の輸送では廻船業者が活躍したほか、交通の要地には鎌倉時代の問丸(といまる)から発達した問屋(といや)が置かれ、多くの地方都市の繁栄をもたらしました。この他にも、多数の物資を運ぶために京都の輸送路を中心に各地で馬借(ばしゃく)や車借(しゃしゃく)などの運送業者が活躍しました。
なお、馬借とは馬の背に荷物を載せて運ぶ輸送業者のことであり、水陸交通の要地や主要街道沿(ぞ)いの町に集団で住み、船で運ばれたものを京都や奈良などに運び込んでいました。また、車借とは牛(もしくは馬)に車を引かせて荷物を運ぶ輸送業者のことです。
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