文明17(1485)年、京都に近い南山城(みなみやましろ)地方の国人の指導によって分裂していた畠山氏の軍を国外へ追放し、約8年間にわたる一揆の自治支配を実現させました。これを「山城の国一揆」といいます。このように、身分の下の者が上の者の勢力をしのぐことを「下剋上(げこくじょう)」といい、この時代の大きな特徴になりました。
また、蓮如(れんにょ)による布教で広まった浄土真宗(じょうどしんしゅう)の門徒(もんと、宗門を同じくする信徒のこと)たちが、信仰による大きな力によってしばしば一揆を起こしました。浄土真宗は別名を一向宗(いっこうしゅう)ということから、浄土真宗の門徒が起こす一揆のことを「一向一揆」といいます。
なかでも加賀(かが、現在の石川県南部)の門徒たちは、国人と協力して長享(ちょうきょう)2(1488)年に守護であった富樫政親(とがしまさちか)を倒した後に、本願寺の僧侶(そうりょ)と門徒の農民を中心として、織田信長(おだのぶなが)に滅ぼされるまで約1世紀にわたって支配を続けました。これを「加賀の一向一揆」といいます。
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