しかも、先述したケロッグ国務長官の「経済封鎖は戦争行為そのものである」という言葉を借りれば、先の石油禁輸の例を出すまでもなく、ハル・ノートによってアメリカは我が国に対して侵略戦争を先に仕掛けたも同然であり、我が国が対米開戦に踏み切ったのも無理からぬことではありました。
ハル・ノートを突き付けられた東條内閣は半年以上続けてきた日米交渉を断念し、昭和16(1941)年12月1日の御前会議において、ついに「開戦のご聖断」が下りました。なお、戦争開始の閣議決定の裁可を求められた昭和天皇はご自身のお気持ちを封印され、立憲君主制に基づく大日本帝国憲法の規定どおりにお認めになられました。
昭和天皇のご意思であった「対米戦争回避」を実現できなかった東條首相は、開戦日(12月8日)の未明に首相官邸の自室において、皇居に向かって号泣しながら陛下にお詫びをしたと伝えられています。
一般的な歴史認識においては「東條英機こそが日本を戦争に巻き込んだ重大な戦争犯罪人である」とされることが多いですが、前任の第三次近衛内閣が「戦争の決断をしたくない」とばかりに無責任に政権を投げ出した後に国論をまとめ上げ、ギリギリまで戦争回避に努力したという「歴史の真実」を、私たちはどのように評価すべきでしょうか。
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