しかし、いわゆるハリマン問題などを原因としてアメリカとの間に出来た溝が人種差別に基づく日本人敵視政策を生みだし、また昭和初期のアメリカやイギリスなどによるブロック経済が、世界との貿易で生計を立ててきた我が国に大きな打撃を与えました。
さらに、巨大な共産主義国家であったソ連による軍事的あるいは思想的脅威が我が国の内外に大きな刺激を与え、関東軍による満州事変から満州国建国への流れを導くとともに、大日本帝国憲法(=明治憲法)の大きな欠陥であった「統帥権干犯(かんぱん)問題」が軍部の独走をもたらしました。
加えて、日華事変の泥沼化が我が国の体力を徐々に奪ってきたところへ、日独伊三国同盟や北部仏印進駐などをきっかけにABCDラインが引かれ、資源を求めて合法的な南部仏印進駐を行えば石油禁輸となり、それでも粘り強く対米交渉を行えばハル・ノートを一方的に突き付けられました。
かくして、命綱でもあった石油の入手経路を完全に断たれたばかりか、国家としての存続も風前の灯(ともしび)となってしまった我が国は、自衛のための最終手段として日米開戦の選択肢しか残らないという状況に追いつめられてしまったのです。
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