来栖大使はルーズベルト大統領に我が国の苦しい立場を素直に表明して、交渉に応じるよう懸命に説得しましたが、大統領は言葉を適当にはぐらかしてやんわりと拒否するばかりでした。
実は、この時までにアメリカ側は日本の秘密文書の暗号を解読しており、我が国の交渉過程は筒抜けだったのです。それでも我が国は切り札として最後まで取っておいた「乙案」も提示したほか、日独伊三国同盟の死文化すら申し入れましたがアメリカは聞き入れず、11月26日に両大使に対して一つの「外交文書」を突き付けました。
それこそが、悪名高い「ハル・ノート」だったのです。
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