一方、南部仏印を含む南洋ルートはゴムや錫(すず)などの天然資源が豊富であり、コメの生産も盛んでした。北進論を断念した我が国にとって、南部仏印が英米に占領される前に自国の軍隊を進駐させ、ゴムやコメの供給地を確保するという手段は、当時の国際通念上に照らしても当然の自衛行為であり、またフランス政府との交渉の末に実現した合法的なものでした。
にもかかわらず、日本軍の進駐で自国の植民地支配に危機が生じると判断したアメリカは、イギリスに亡命していたド=ゴール政権こそがフランスの正当なる政府であると主張して、我が国の南部仏印進駐を非難したばかりか、直後の8月1日に、在米日本人の資産凍結や石油を含む主要物資の対日輸出全面禁止などという措置をとりました。
言うまでもないことですが、20世紀の国家が石油なくして存在できるはずがありません。それなのに石油を我が国に一滴たりとも「売らない」というアメリカの行為は、我が国に「死ね」と言っているに等しい暴挙でした。
なお、1928(昭和3)年にパリ不戦条約が結ばれた際、条約批准(ひじゅん、国家が条約の内容に同意すること)の是非をめぐってアメリカ上院議会で討議が行われた際に、当時のケロッグ国務長官が「経済封鎖は戦争行為そのものである」と断言しています。彼の言葉を借りれば、アメリカによる石油禁輸こそが「我が国に対する先制攻撃」だとは言えないでしょうか。
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