一方、アメリカのフランクリン=ルーズベルト大統領も「攻撃を受けた場合を除いて絶対に戦争はしない」と公約して三選を果たしたものの、ニューディール政策の行きづまりもあって経済が疲弊(ひへい)し、失業者が増加していました。
これらを打開するため、チャーチルとルーズベルトが手を組み、まず日本に先に攻撃させるかたちによって日米間で戦争を起こさせ、その後に日本と同盟関係にあるドイツとアメリカが戦えるように仕向けたのではないかと考えられているのです。実際に両国は1940(昭和15)年にアメリカがイギリスに戦艦や武器弾薬を貸与するなど連携を強めており、日本と石油などの輸出入の交渉をしていたオランダにも圧力をかけるなど、真綿(まわた)で首を絞めるように我が国を追いつめていきました。
史実では後述するように昭和16(1941)年12月に日米開戦となり、アメリカは多大な犠牲を払った末に我が国を徹底的に叩き潰(つぶ)したほか、戦争による特需(とくじゅ)で経済が活性化するという効果をもたらし、イギリスもアメリカの参戦で息を吹き返して、最終的にドイツに勝利することができました。
しかし、アメリカとイギリスは、お互いに手を組むことによって「当面の敵」であった我が国やドイツを倒すことはできましたが、実はこれらは「目先の利益」でしかなく、大局的には両国とも「敗戦同様」だったという事実を皆さんはご存知でしょうか。カギを握るのは「ソ連」の存在です。
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