先述のとおり、当時はチェンバレン政権のイギリスのみならず、主要国のほとんどが第一次世界大戦のトラウマから厭戦(えんせん)ムードとなっており、宥和政策の転換をためらっていたことを忘れてはいけませんし、そんな中でイギリスだけが突出してドイツとの戦争を行うことが果たして可能だったでしょうか。
それに、これも先述しましたが、宥和政策にはソ連(=共産主義)に対するイギリスやフランスの敵意という一面もあり、ソ連を倒すためにドイツを「利用」するという手段も視野に入れることは十分可能でした。まさに「毒を以て毒を制す」です。
ところが、我が国と防共協定(あるいは反共協定)を結んでいたはずのドイツがソ連と不可侵条約を結んでしまったことが、ヨーロッパにとっても、また我が国にとっても大きな誤算となりました。もっともソ連のドイツへの「譲歩」を引き出したのはノモンハン事件でソ連軍と戦った我が国であったわけですが、いずれにせよお互いに後顧の憂いがなくなったドイツとソ連とがポーランドに侵攻し、各国が引きずられるように参戦したことで第二次世界大戦が勃発してしまったことに変わりはありません。
また、始めのうちは共同戦線をとり続けたドイツとソ連が、独ソ戦の勃発によって血みどろの戦いを繰り広げることになるのですが、これは宿命でもありました。なぜなら両国は「同じ穴のムジナ」だったからです。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。