先述のとおり、イギリスのチェンバレン首相(当時)が宥和政策を決断したのはドイツに対抗できるだけの戦力を再建するための時間稼ぎという一面もありましたが、これに味をしめたヒトラーが増長したという流れも否(いな)めません。
そもそも、国家社会主義に基づく軍隊や軍需産業の育成によって高度成長を続けたドイツが、宥和政策によって侵略の停止や平和的な国際社会の形成へ向けて進むとは考えにくいのではないでしょうか。
歴史を振り返ってみても、戦意を固めている相手といくら和平交渉を続けたところで、相手にとっては単なる時間稼ぎでしかないという一面もあります。例えば、日華事変の泥沼化は他国の援助を受けた蒋介石が徹底抗戦を続けたのが主な理由ですが、その一方で日本政府が辛抱強く和平交渉を続けた結果、かえって早い段階で蒋介石を倒すことができなくなったことも一因なのです。
ちなみにこうした流れは、日本との戦争を早い段階から決断していたアメリカとの対米交渉に我が国がこだわり続けたことにも同じことが言えます(詳しくはいずれ紹介します)。
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