また、イギリスではドイツによる激しい空襲が繰り返されましたが、1940(昭和15)年にチェンバレンにかわって首相に就任したチャーチルが辛抱強く防衛しました。
翌1941(昭和16)年にドイツがバルカン半島に侵入してユーゴスラビアやギリシアを占領すると、返す刀で同年6月には独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連への攻撃を開始しました。いわゆる独ソ戦の始まりです。
ドイツはソ連との戦闘においても快進撃を続け、一時は首都のモスクワにまで迫りましたが、ソ連軍の抵抗によって進撃は食い止められ、戦争は長期化の状態となりました。
このように、第二次世界大戦の緒戦はドイツが優位に戦いを進めていましたが、こうした流れが独ソ不可侵条約によって一時はドイツとの関係が冷え切った我が国で「強いドイツと同盟を結べば我が国も安泰となる」という気運が高まることとなり、やがて我が国はドイツに急接近するようになるのです。
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