なお、フランス軍はパリから退却する際に首都攻防戦を選択せずに無傷でドイツに明け渡すという、いわゆる「オープン・シティ」化を採りましたが、これは後日にパリを奪還すべく力を蓄えて捲土重来(けんどちょうらい)を期すという目的があったからです。
もし首都攻防戦にこだわってパリが破壊され首都としての機能を失ってしまえば、奪還後の再建に膨大(ぼうだい)な時間と費用がかかってしまいますし、奪還する方にとっても得策ではないことは言うまでもありません。
一方、こうした「オープン・シティ」化に失敗して軍兵や一般市民に多数の犠牲者を出してしまったのが昭和12(1937)年12月の南京攻略ですが、これについては、首都攻防戦の結論を出すことなく南京から真っ先に逃げ出した、国民政府の指導者である蒋介石(しょうかいせき)に大きな責任があると考えられます。
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