松岡外相はアメリカを説得するため、ドイツと不可侵条約を結んでいたソ連にも接近して昭和16(1941)年4月に「日ソ中立条約」を締結しましたが、そのわずか2か月後の6月にドイツが独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻したため、外相の目論見(もくろみ)が外れてしまいました。
また、三国同盟を結んだといっても、遠く離れたドイツやイタリアが我が国の危機に際して援軍をすぐに送ってくれる可能性は低かったですし、何よりも三国同盟を口実にアメリカが我が国に対して態度をさらに硬化させ、後述するような報復ともいえる措置(そち)を次々と行うようになるのです。
さらに付け加えれば、同盟締結時は破竹の勢いだったドイツがやがて劣勢(れっせい)に転じたことで、そんなドイツと同盟を結んでしまっていた我が国がますます不利になっていくのは避けようもない流れとなってしまいました。
要するに、我が国は第二次世界大戦の開戦直後にドイツが見せた強さに驚くあまり、その行く末を見誤ったのです。もし我が国が当時の世界各国の本当の情勢を的確につかんでいればと悔やまれてなりません。
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ブロック経済は、アメリカやイギリスあるいはフランスなどのように広大な領土や植民地を有する「持てる国」であれば自給自足が可能ですが、広大な領土や植民地を「持たざる国」であった我が国やドイツ・イタリアなどにとっては、まさに死活問題でした。
我が国が外交関係によって正式な権益を得た満州(現在の中国東北部)を基本として海外に進出したのに対し、ドイツやイタリアは戦争によって領土を奪うという手段の違いはあったものの、いずれもブロック経済を乗り切って自給自足をめざすという目的が存在していました。
要するに「持てる国」の囲い込みに対して「持たざる国」が生き残りをかけて結びついたのが三国同盟であったともいえるわけですが、この同盟は我が国にとって「百害あって一利なし」という結果となってしまったのです。なぜそう言い切れるのでしょうか。
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米内にかわって内閣を組織したのは、元枢密院(すうみついん)議長の近衛文麿(このえふみまろ)でした(第二次)。第二次近衛内閣は組閣直後に基本国策要綱を閣議決定し、欧米列強がアジアに持っていた植民地を開放して日本を盟主とする共存共栄の新たな国際秩序を建設しようという「大東亜共栄圏(だいとうあきょうえいけん)」の構想を発表しました。
そして昭和15(1940)年9月には、第二次近衛内閣の外務大臣であった松岡洋右(まつおかようすけ)や陸軍の熱心な推進もあって、昭和11(1936)年に締結した日独防共協定を発展するかたちでドイツやイタリアと「日独伊三国同盟」を結びました。
三国同盟においては、アジアおよびヨーロッパにおける三国の指導的地位の相互確認や、ヨーロッパの戦争や日華事変に参加していない国から攻撃を受けた場合の三国の政治・経済・軍事面における相互援助などが定められました。
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我が国がアメリカから理不尽ともいえる仕打ちを受けていた頃、第二次世界大戦を始めたドイツは破竹の勢いで緒戦を制し、大いなる強さを世界に見せつけていましたが、その姿を見たことで「ドイツと同盟を結んでおけば日本も安泰だ」という気運が我が国で自然と高まりました。
やがて我が国では「バスに乗り遅れるな」というスローガンが流行して、ドイツとの同盟を朝日新聞などのマスコミも大々的にキャンペーンするようになりましたが、こうした動きの中で、それまで対ソ連など北方の脅威(きょうい)に対処するために「北進論」を唱えていた陸軍も、ドイツの攻勢に引きずられるかたちで、次第に「南進論」へと傾くようになりました。
南進論とは「東南アジアに進出して資源を確保しようとする」考え方でしたが、そこにはイギリスやアメリカ・オランダ・フランスが植民地を持っており、いずれ各国と衝突するのは必至でした。しかし、それをも覚悟の上でドイツと同盟を結ぼうという考えが陸軍を中心に強まっていったのです。
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阿部内閣はアメリカとの関係改善をめざして交渉を続けましたが、すでに対日戦略を着実に固めつつあったアメリカは、日本軍の軍事行動の拡大や東亜新秩序の声明あるいは日本軍が天津(てんしん)の英仏租界(そかい、外国人居留地のこと)を封鎖したことを理由に態度を硬化させ、関係を改善するどころか、昭和14(1939)年に日米通商航海条約を延長しないことを我が国に通告してきました。
しかしながら、日本軍の軍事行動が拡大したのは日華事変の泥沼化(どろぬまか)やノモンハン事件に代表される対ソ連(現在のロシア)戦など、侵略よりもむしろ自衛を目的とする戦闘行為によるものでしたし、また東亜新秩序の声明も、日華事変解決を目的として国民政府に容共抗日策(ようきょうこうにちさく、中国共産党と結んで我が国に対抗する政策のこと)を捨てて我が国と連携(れんけい)するよう呼びかけただけでした。
さらに付け加えれば、天津における英仏租界の封鎖もイギリスの租界に逃げ込んだ殺人犯の引き渡しを当事者のイギリスが拒否したのが原因であり、いずれも我が国だけに一方的な非があるとは言いがたいものがあったにもかかわらず、日英間で協定が結ばれたのを不服としたアメリカが、その直後にいきなり条約の破棄を通告してきたというのが真相だったのです。
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さらには、ソ連が体制維持のためにコミンテルンを組織して各国にスパイを放ち、我が国でも尾崎秀実(おざきほつみ)のように政府の中枢にまで影響が及んでいたという事実もありますし、何よりも社会主義の「失敗」が世界中において白日の下にさらけ出されたのは、1991(平成3)年のソ連崩壊に象徴される20世紀末のことでした。
こうした流れを考慮すれば、第二次世界大戦前後の世界が社会主義の危険性をはっきり認識できたかどうかは、難しいと言わざるを得ないのではないでしょうか。
当時の世界情勢を振り返れば振り返るほど、歴史を学ぶことの奥深さと難しさをつくづく痛感させられますね。
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史実においては、第二次世界大戦で我が国やドイツとイタリアが徹底的に叩き潰されたわけですが、イギリスやフランス、あるいはアメリカなどにとっての「本当の敵」は果たしてどの国だったのでしょうか。
もし、世界の自由主義国家がドイツやソ連が進めていた社会主義(あるいは共産主義)の危険性をもっと早くに認識していれば、局地戦で戸惑(とまど)うことなく大局を見据(す)え、独ソ両国が潰し合うように持って行けたはずですし、もしそうなれば、我が国の運命も全く違ったものになったことでしょう。
しかし、現実には、これすら今の視点から判断した「結果論」に過ぎないのです。
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オンライン式講習会のお申し込み方法の詳細は追記に掲載しておりますのでご参照ください。また、準備の都合上、お申し込みの締め切りは3日前(5月12日)の正午(午後0時)までとなりますのでご注意ください。
黒田裕樹の東京歴史塾「昭和時代・戦後 その2」
「昭和時代・戦後」の2回目は「押しつけられた日本国憲法」「政党の復活」「経済面の占領政策」「食糧危機とインフレーション」の4つを中心に、「日本国憲法」なるものをGHQに押しつけられた背景や、終戦直後の経済面での苦悩などについて黒田節が詳しく語ります。ご期待ください!
主催:株式会社スペック
日時:令和4年5月15日(日) 午後7時30分~午後9時30分
参加費:金3,000円(税込)
※レジュメを事前に郵送でご希望の場合は金3,500円(税込)になります
お申し込み締め切り:5月12日の正午(午後0時)まで
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②講座申込フォームに必要事項を記載のうえ、送信してください。折り返し、ご指定のメールアドレスに事務局からの案内メールが届きますので、それをご参照のうえ、24時間以内にPayPalまたは銀行振込で参加費をお支払いください。
③講座当日に使用するレジュメは、ご入金確認後にレジュメデータ(PDF)をメールにてお送りさせていただきます。なお、ご入金の確認が取れない方につきましては、キャンセル扱いとなりますのでご注意ください。
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②歴史講座レジュメ
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ZOOMでご参加いただくためには、事務局よりお送りさせていただく『招待状』よりご入室していただく必要があります。招待状につきましては、講座前日の午後4時以降にお送りします。
その他、ご不明な点がございましたら、ご遠慮なく下記の事務局にまでお問合せください。
<お問い合わせ先>
〒530-0051
大阪府大阪市北区太融寺町5-15梅田イーストビル8階
電話:050-3530-8995
メール:theaterspec@specgroup.jp
黒田裕樹の歴史講座事務局(株式会社スペック内)
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実際にドイツがポーランドに侵攻したことで自国の安全保障に重大な懸念が生じたわけですから、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告をしたというのも決して無理はありません。
しかし、ドイツとソ連とがいずれは衝突するという読みがもし英仏両国にあったとすれば、ポーランドを見殺しにしてでも宣戦布告を先延ばしにし、ポーランド占領後に独ソ両国をお互いに戦わせるように仕向ける工作も可能だったのではないでしょうか。
つまり、宥和政策そのものが間違いだったのではなく、宥和政策を貫けずに中途半端なかたちで転換したことが、戦略的に失敗だったのではないかとも考えられるのです。
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両国の違いは、ナチスが「国家が主体となって行う社会主義」を目標としたのに対し、ソ連が「人民が主体となって行う社会主義」を目標としただけであり、しかもソ連において実際に政治を動かしていたのは「共産党=国家」であったのですから、結局はナチスもソ連共産党も本質的に何ら変わりはないということになります。
近親憎悪(きんしんぞうお)という言葉があるように、相反(あいはん)する存在よりも本質的に同じ者の方がより相手を憎み、叩き潰(つぶ)そうとするものです。例えば、我が国で革命を起こそうとしている中核派と革マル派も、両者が手を結ぶどころかお互いに殺し合いまでやっている有様です。
ドイツのヒトラーも、ソ連のスターリンも、外見や経緯こそ違えども、社会主義の独裁者という点ではそれこそ「双子の兄弟」のようなものでした。両者が一時の利害の一致で手を結ぶことがあっても、やがてはお互いに憎悪し血みどろの戦いを展開するのは必然だったのです。
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