幕府の財政は、御料所からの収入を基盤として各地の守護や地頭からも課税していましたが、成長した守護大名らがその支払いを拒否することが多かったため、別の財源を求めざるを得ませんでした。
幕府は道路や港湾などの交通の要所に関所を設けて関銭(せきせん)や津料(つりょう)を徴収したり、内裏(だいり)の造営などの国家的行事の際には、田畑や家屋に対して臨時に段銭(たんせん)や棟別銭(むなべつせん)を課したりしました。
他にも、京都の高利貸である土倉(どそう)や酒屋(さかや)に土倉役(どそうやく、別名を倉役=くらやく)や酒屋役(さかややく)を課したり、幕府の保護を受けて金融活動を行っていた京都五山(ござん)の僧侶(そうりょ)から献上金を出させたり、日明貿易による利益から抽分銭(ちゅうぶんせん)を集めたりしましたが、それでも幕府はしばしば財政難に苦しむことになりました。
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