そこで、鎌倉には鎌倉府(=関東府)を置き、尊氏の子の足利基氏(あしかがもとうじ)を鎌倉公方(かまくらくぼう、または関東公方)に任命しました。
鎌倉公方はこの後も基氏の子が世襲(せしゅう)することになりました。また、鎌倉公方を補佐する役職としては関東管領(かんとうかんれい)が置かれ、こちらは上杉(うえすぎ)氏が世襲しました。東国の統治を一任された鎌倉府は大きな権限を持ったことで、やがて室町幕府としばしば対立することになりました。
なお、この他にも九州地方には九州探題が、奥羽(おうう)地方には奥州(おうしゅう)探題と羽州(うしゅう)探題がそれぞれ置かれました。
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