しかも相国寺は当時の京都御所のすぐ北にあり、天皇がおわす御所の上座(かみざ)の位置に、御所を見下ろすことができる巨大な建物を造営したことになりますが、義満の意図がどこにあったのかが気になるところです。
また、義満は「金閣寺(きんかくじ)」と呼ばれる寺院を建築したことでも有名であり、これは現在の鹿苑寺(ろくおんじ)の通称となっていますが、義満の当時は金閣寺を含む一帯が北山第(きたやまてい、別名を北山殿=きたやまどの)と呼ばれ、義満の政務地でした。
義満が政務地の象徴として建築したのが現在の金閣寺と考えられていますが、その金閣寺は1階が寝殿造(しんでんづくり)で2階が武家造(ぶけづくり、別名を書院造=しょいんづくり)、3階が禅宗様(ぜんしゅうよう)という変わった構造をしていることでも有名ですね。
実は、この金閣寺の構造にも義満の真意が隠されているのです。
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