要するに、義満は南朝に空手形(からてがた)をつかませたのです。南北朝の合一に関する義満の手法は卑怯(ひきょう)かつ詐欺的(さぎてき)なものでした。
しかし、彼の行動によって二つあった朝廷が一つにまとまったことで、それまでの混乱状態から回復して世の中が平和に向かうという皮肉な結果をもたらすことにもつながりました。まさに「平和は綺麗事だけでは達成できない」ということですね。
なお、義満に「だまされた」南朝の勢力は、皇統の子孫や南朝の遺臣らが幕府や朝廷(=北朝)に対して様々な抵抗を続けましたが、後には子孫が殺害されるなどの悲劇を生みました。これを「後南朝(ごなんちょう)」といいます。
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