ご自身が幕府を倒すために何度も討幕の兵を挙げられ、結果として建武の新政が実現できたことは、後醍醐天皇にとっては当然のことであり、このままご自身による親政が永遠に続くとお考えでした。
しかし、後醍醐天皇に味方して幕府を倒すのに協力した武士たちは、勢力が衰えて政治を任せられなくなった幕府の代わりに、他の武士による新しい組織のもとで、これまでどおりの「武士による政治」を続けることを望んでいました。
それなのに、後醍醐天皇は皇族や公家(くげ)のための政治のみを実行されるだけでなく、これまで守られてきた土地の所有権などの武士の権利がないがしろにされたことで、建武の新政に対する武士たちの不満が次第に高まっていきました。
かつて平家による政権が貴族化した際もそうであったように、いくら武力などで世の中を支配したところで、それが国民の理解を得られなければ、その支配は絶対に長続きできないのです。今回の場合も、当時の国民の代表たる武士の期待に応えられなかった建武の新政にはやがてかげりが見え始め、そんな不穏(ふおん)な空気を察したかのように、後醍醐天皇から「最高の栄誉」を受けたはずの一人の武士が反旗を翻(ひるがえ)しました。
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