しかし、軍部に抑えが利く人物として宇垣が推薦(すいせん)されたということは、自分たちの主導で政治を行うことを画策していた軍部にとっては都合の悪いことでした。このため、石原莞爾(いしわらかんじ)大佐(当時)ら陸軍中堅層は宇垣内閣誕生を阻止すべく動きました。
石原らは先の広田内閣で復活した軍部大臣現役武官制に目を付け、宇垣内閣に陸軍大臣に相応(ふさわ)しい人物を一切推薦しなかったのです。このとき、宇垣は陸軍大将でありながらも予備役であったため、現役武官制が災(わざわ)いして自身が陸相を兼任することができませんでした。
結局、宇垣は組閣を断念し、翌2月に同じ陸軍大将で予備役の林銑十郎(はやしせんじゅうろう)が内閣を組織しましたが、宇垣一成による組閣の失敗は、軍部の政治的発言力の強さを思い知らされると同時に、軍部大臣現役武官制が倒閣の手段として非常に有効であることを明らかにする結果となりました。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。