スペイン内乱でドイツとの連携を深めていたイタリアは、日独伊三国防共協定への加入に続いて国際連盟から脱退するなど、日本・ドイツ・イタリアのいわゆる三国による枢軸(すうじく)の体制が整いました。なお、枢軸とは「世界の中心となるべき国々の協力関係」を意味しています。
かくして始まった防共協定でしたが、共産主義への対抗という協定本来の意味が我が国とドイツが結んだことで反英・反米協定と誤解され、結果的にイギリスやアメリカとの関係が悪化するという流れを生んでしまいました。なぜそうなったのかという理由の一つとして、米英両国が共産主義の本質を我が国ほど見抜いていなかったのではないかという説が考えられています。
なお、我が国を中心とした防共協定によって対日政策をさらに厳しくしたソ連は、1937(昭和12)年に「中ソ不可侵条約」を結び、チャイナへの軍事援助を積極的に行うようになりました。また、防共協定に対する脅威(きょうい)が、ソ連のコミンテルンからの指示を受けたスパイが我が国を含む全世界に暗躍(あんやく)する流れをもたらしたのです。
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