昭和8(1933)年の帝国議会において、京都帝国大学法学部教授の滝川幸辰(たきがわゆきとき)が著した「刑法読本」や「刑法講義」が国家を破壊する著作であるとして問題とされました。これを「滝川事件」といいます。
滝川教授の著作が問題にされた背景には、前年の昭和7(1932)年に中央大学で講演した「復活に現われたるトルストイの刑罰思想」における内容が「国家が刑罰を加えるのは不当である」とみなされ、国家の否認につながるものであると非難されたというのがありました。
当時の斎藤実(さいとうまこと)内閣の文部大臣であった鳩山一郎(はとやまいちろう)は「刑法読本」や「刑法講義」を発禁処分としたほか、京大に滝川教授の退官を要求しましたが、京大法学部教授会が「大学の自治への介入」として拒否したため、政府は文官分限令を発動して滝川教授を休職処分としました。
なお、滝川教授は休職処分後に京大を退官しましたが、第二次世界大戦後に復帰して後に京大総長を務めました。また、京大に一連の処分を迫った鳩山一郎は戦後に内閣総理大臣を務めたほか、彼の孫にあたる鳩山由紀夫(はとやまゆきお)も同様に首相となった経験があります。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。