マルクス主義が次第に退潮していく中で、保田與重郎(やすだよじゅうろう)が主宰(しゅさい)した日本浪曼(ろうまん)派では、日本の近代化の諸現象を否定的に評価する反近代主義の立場から日本民族のもつ伝統美やアジア主義に注目し、民族的美意識を追求した「日本への回帰」という傾向を代表するようになりました。
また、昭和9(1934)年に陸軍省によって発行された「国防の本義と其(その)強化の提唱(=陸軍パンフレット)」では社会主義につながる統制経済など国防優先の国会改造が提唱されましたが、政党政治家が反対を唱える一方で、国家社会主義を標榜(ひょうぼう、主義や主張などをはっきりと示すこと)した赤松克麿や社会大衆党らはこれを支持しました。
こうした陸軍パンフレットをめぐる動きをきっかけとして、陸軍が政治への介入をより深め、批判した勢力に対する取り締まりを強化するようになるのですが、その批判した人物のひとりに先述した美濃部達吉(みのべたつきち)がいました。
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