極端な言い方をすれば、皇道派が自己の理想を現実のものとするために「天皇を中心とした国家社会主義体制をつくる」→「それを邪魔する政治家や官僚は国賊である」という、ある意味一方的な考えに走ったことで事件が起きたとも判断できるのです。
しかし、皇道派の青年将校たちには国賊に思えた政治家や官僚は、同時に「昭和天皇にとってかけがえのない股肱(ここう)の臣」でもありました。また、当時は岡田首相も暗殺されたと思われており、内閣不在の異常事態であったからこそ、クーデターに激怒された昭和天皇が立憲君主制の原則を破られて、お自ら事件の鎮圧に乗り出されたのです。
二・二六事件を起こした青年将校たちへの同情論が多いのも理解できなくはないですが、股肱の臣を一度に失われた昭和天皇のお怒りやお悲しみも私たちは同時に考えなければならないでしょう。
※黒田裕樹の「百万人の歴史講座」をご紹介します。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※「黒田裕樹の歴史講座+日本史道場+東京歴史塾」のご案内です。他の教師とは全く異なる、歴史全体の大きな流れを重視した「分かりやすくて楽しい歴史」をモットーに多くの方にお教えいたします。詳しくは下記のバナーをご覧ください。
※無料メルマガ「黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編」の登録はこちらからどうぞ。多くの皆様のご購読をよろしくお願いいたします。


いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。