前代未聞の大事件を受け、将校たちに同情する姿勢を見せた陸軍首脳部は、彼らの意図を認めるか否(いな)かで動揺(どうよう)しましたが、ご自身にとってかけがえのない「股肱(ここう、最も頼りになるという意味)の臣」を失われた昭和天皇は激怒され、当時は岡田首相が死亡したと伝えられたことで内閣不在の緊急事態ということもあり、自らのご意思で事件の解決に乗り出されました。
二・二六事件は昭和天皇の強いご指示による勅令(ちょくれい、天皇による命令のこと)が出され、決起した将校たちは反乱軍となり、東京に戒厳令(かいげんれい)が出された後に事態は収拾へと向かいました。
その後、事件に関係した軍人や民間人の多くが検挙され、死刑を含む厳しい処分が行われましたが、処刑された中には「日本改造法案大綱」を著して軍人のクーデターによる国家社会主義の実現をめざした民間人の北一輝(きたいっき)もいました。
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