この場で何が話されたかの記録は残っていませんが、事後の展開から、おそらく頼朝は自らを「征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)」に任命するように後白河法皇に迫ったと考えられます。なぜ頼朝は征夷大将軍という官職を要求したのでしょうか。そこには「幕府」の誕生とも密接にかかわる頼朝の最高傑作ともいうべき発想がありました。
そもそも「幕府」という言葉の本来の意味は、チャイナにおける「王に代わって指揮を取る将軍の出先における臨時の基地」です。この場合、チャイナの皇帝は円滑に戦争を進めさせるため、将軍に対して本来は皇帝の権限である徴税権や徴兵権を委任していました。
つまり、頼朝は自らを「幕府の将軍」になぞらえることによって、朝廷から独立した軍事政権を確立しようとしたのです。
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