しかし、江戸幕府の老中首座だった藩主の板倉勝静(かつきよ)に長年仕え、同時に彼を支え続けてきた方谷は、年齢のこともあって新政府への出仕を断りました。
その後の方谷は備中へ戻って私塾を開いたほか、我が国最古の庶民(しょみん)のための学校であった閑谷(しずたに)学校を再興するなど弟子の育成に力を尽くしましたが、明治10(1877)年に73歳でこの世を去りました。
方谷が亡くなってから約50年経った昭和3(1928)年、方谷ゆかりの地に国鉄(現在のJR)伯備線が開通した際に、地元民の熱意によって先述のとおり「方谷駅」がつくられたほか、21世紀の平成18(2006)年には、それ以前の昭和52(1977)年に岡山県出身の天文学者が新たに発見した小惑星に対して「山田方谷」と名づけることが認められました。
藩のためだけでなく、名もない多くの領民のために心血を注いだ山田方谷の生き様は、時代を超えた今もなお多くの人々に慕われ続けているのです。
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