里正隊を中心とする見事な訓練ぶりに感嘆した久坂は、単なる財政改革の成功だけではなく、教育面や軍事面など身分制度にとらわれない様々な改革によって優秀な人材を輩出しているところに、軍政の神髄が存在することを理解しました。
後に久坂は元治(げんじ)元(1864)年の禁門の変において負傷して自刃(じじん)しますが、生前の久坂から方谷の話を聞いていたとされる高杉晋作(たかすぎしんさく)によって「奇兵隊(きへいたい)」が組織され、幕末における長州藩を軍事面から支えましたが、方谷による里正隊は奇兵隊よりもおよそ10年近くも早く結成されていたことになります。
これらのように、方谷による藩政改革の成果は全国的な評判を呼び、他藩の改革にも多大な影響を与えましたが、それは同時に備中松山藩自体にも数奇な運命をもたらすことになりました。
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